ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]入れ子の水は月に轢かれ

 

入れ子の水は月に轢かれ

入れ子の水は月に轢かれ

 

 

 早川書房などが主催する「アガサ・クリスティー賞」はイギリスのアガサ・クリスティー社が世界で唯一公認する推理小説の公募賞である。審査員も北上次郎鴻巣友季子藤田宜永といったベテラン作家・翻訳者の各氏に加え「ミステリマガジン」の清水直樹編集長という錚々たる面々が名を連ねて選考を務めているのだが、今回(第8回)の大賞受賞作が発表された時はその受賞者名に読書界はちょっと騒然となった。
 受賞作のタイトルは『入れ子の水は月に轢かれ』。そして界隈をザワザワさせた著者の名前は「オーガニックゆうき」氏。え? 芸人さん…? 何者…? とその正体不明ぶりは話題を呼んだが、もちろんこれはペンネーム。母親と一緒に考えたものだそうだ。編集部から「真面目な名前に変えては」と諭されても頑として変えなかったそうである。カバーに書かれている作者名の英語表記が「ORGANIC×ORGANIC」になっているのが笑える。
 そんなエピソードからもただ者でなさが伝わってくるオーガニック氏は沖縄県出身。小説の舞台も同県の県庁所在地・那覇市だ。

 長野県出身の青年・岡本駿はある事情を抱えて沖縄・那覇にやってきた。彼は平和通りに平行して通る「水上店舗通り」でラーメン屋を出店しようとしていた。市内を流れる「ガーブ川」に蓋をして作られているのでその名がついた「水上店舗通り」には個性的な店主やお客さんが暮らしている。異様に数字に強い店のオーナー・鶴子オバァや、駿と共同生活するヘンなフリーターオジサン・健さんはその代表格だ。健さんは破天荒で行動的で底抜けに明るいオジサンなのだが、彼もなにやら重い過去を引きずっている様子。
 しかしラーメン屋オープンの日、第1号の客がガーブ川で死体になって見つかった。犠牲者は駿が以前見かけたことのある人物だ。気になった駿は健さんとともに調査を始めるが、事件は思わぬ展開を見せ、戦後沖縄の闇に足を踏み入れていく。それはどうやら健さんの過去にも関わりがあるようなのだが…。
 調査途上で浮上したキャンデス氏なる謎の人物は何者なのか。暗躍するCIAの目的は何か。複雑に絡み合った歴史が浮かび上がる。

 異様な勢いと迫力で押し切るミステリーだが、実は那覇で生まれ育ってガーブ川近くの小中学校に通っていた自分にとってはど真ん中の地元小説でもある。非常に馴染み深い地名や店名が数多く登場し、物語の舞台である2017年に話題になったローカルなニュース(農連市場移転など)もそのままストーリーに出てきたのでちょっと感動した。
 自分的にはそんな思い入れもあるのだけど、さて、ミステリーとしての完成度について目を移してみると、巻末に掲載されている選評では藤田氏は<ミステリとしての穴はかなりあるし、文章もあらい>、清水編集長は<謎解きに関わる部分、キャラクターの整理など、まだまだ改善の余地>はあると本書の課題点を挙げている。
 地元が舞台なので贔屓目で見てしまい、尚且つミステリーはあまり詳しくない自分だが、たしかに上記の部分は弱いように感じた。例えば物語の講造は基本的に「駿が何かに戸惑う」「健さんがいろいろ調べてくる」「あれこれ言う」「駿か鶴子オバァが何かひらめく」の繰り返しなので、やや単調である。作中で何か起きても「どうせまた健さんがどうにかするんだろう」と感じてしまうのだ。終盤の主人公がピンチになる場面は緊張感あったけど。
 またタイトル通り水と月(潮の満ち引き)が重要な仕掛けになっているトリックは面白さはあるが、物語前半までに提示されている情報だけでは恐らく読者にはわからないので、早い段階で見抜くことは難しいはず。そもそもガーブ川は蓋がされて長い時間を経ているので、その流れは地元の人でもきちんとは把握できていない人が多い。ましてやそうでない人には位置関係を把握するだけでも大変だろう(巻頭に掲載されている作者の手による地図を何度も見返すことになる)。
 ちなみに最近では2009年にガーブ川で鉄砲水により作業員が流され死亡する事故が起きて大きなニュースになっている。この事故が小説の着想のきっかけになったのかもしれない。

 しかしこれらの弱点を飲み込んだ上で、読みどころはこれも選評にあるように濃密な沖縄の描写だ。あまり描かれることのない観光地ではない沖縄。美しい海や優雅なリゾートホテルは登場しないが、そこに暮らす人々の熱気がムンムンと伝わってくる。権力の上下関係やカネの流れ、生きるために必死になった名も無き人々の歴史。クセの強い登場人物たち。これらを濃密に描きながら、特に説明もなく沖縄の言葉や固有名詞をどんどん繰り出してくる迫力に圧倒される。「B円」とか県外の人にはピンとこないであろう単語も特に説明されず出てくるので読者は想像しながら読むしかない。まあわからない部分は読み飛ばしても問題ないように書かれてはいるのだけど、「わかる奴だけついてこい!」という気迫は凄い。本に巻かれた帯には作者によるウチナーグチ(沖縄語)のちょっとした解説もついているので要参照。これ帯ではなく巻頭に収めてもよかったのではないかと思うのだが。(ただし個人的には「おもろそうし」は「おもろさうし」と表記してほしかった)
 沖縄の人なら、冒頭の主人公の名前をめぐるやりとりを経た後であれば怪人物キャンデス氏の正体についてはすぐピンとくるだろう。登場人物たちは終盤まで頭をひねっているが、僕はこの名前が出てきた瞬間この言葉遊びに笑ってしまった。作者は狙っていると思うのだけど、この感覚は県外の人にはわからないと思う。

 作中の謎には沖縄の戦後史が大きく関わっている。日本史の表舞台に登場することはほとんど無いが、この時代は沖縄の人々にとってかなり激動の時代だった。これを物語に組み込んだ目の付け所は良い。今年度の山田風太郎賞受賞作である真藤順丈氏の冒険小説『宝島』(講談社)でも描かれたが、日本復帰前(1945~1972年)、国内が高度経済成長に湧くのを横目に米国施政下にあった沖縄で何が起きていたのかを描くのは興味深い試みだ。
 そう考えると、沖縄戦における組織的戦闘終結の日とされる「慰霊の日」翌日の6月24から物語を始めたのは恐らく作者の意図的なものだろう。そしてストーリーは8月15日に重要な転換点を迎えるのだが、(作品の舞台である)2017年の同日は旧暦の6月24日にあたるというのも象徴的で、作者の企みなのかもしれない。

 オーガニック氏は前回のアガサ・クリスティー賞でも別の作品で最終選考に残っている。審査委員によると、前回からの成長ぶりが目を瞠るもので、<まだけっして完成形ではないが、この作家はもっともっと大きくなる>(北上氏)と評価されており、現時点での「伸びしろ」に大きく期待されているようだ。
 まだこの若さ(作者は1992年生まれ)だ。今後さらに洗練された小説を書いてくれると思う。沖縄以外を舞台にした小説ではどのように持ち味を見せるのかも興味がある。
 あと、授賞式の2次会にウルトラマン柄のジャンパーを着て現われるほどウルトラマンが好きだと言うオーガニック氏の「ウルトラマン愛」が作品の所々に現れているのが良かった。いつかウルトラマンの小説とか脚本とか手がけてくれないかなあ。