ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]どーなつ

 

どーなつ (ハヤカワ文庫 JA Jコレクション)

どーなつ (ハヤカワ文庫 JA Jコレクション)

 

 

 昨年、『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』(大阪大学ショセキカプロジェクト/大阪大学出版会)という本が刊行され話題になった。
 これはかつてネット上で「ネタ」として議論された、「ドーナツを穴だけ残して食べることができるか?」という問い掛けに端を発している。ネット上ではギャグ混じりの回答が多数書き込まれたが、この本では阪大の様々な分野の学者たちがこの難問に全力で挑んでいる。

 

 ところで、僕が好きな作家の1人に北野勇作というSF作家がいる。
 1992年『昔、火星のあった場所』でデビュー。2001年には『かめくん』で日本SF大賞を受賞。現在の日本のSF界の一角を支える作家だが、とても万人に受けるタイプではない。不思議で独特な世界観の小説を書く。それはいわゆる「普通」の小説に慣れている人には受け付けないタイプの小説かもしれない。
 そんな北野勇作の小説『どーなつ』は2002年に創刊された早川書房の叢書「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」の創刊ラインナップ3点のうちの1冊で、書下ろしで刊行された。

 

 半径5キロメートルたらずのほぼ円形の土地。灰色のもやのようなものに覆われた「爆心地」は外部から中を窺い知る事はできない。ある日内部へ侵入する方法が発見されたが、中へ入って戻ってきた者たちはみな記憶と人格が変形していたのだった。
 この小説はストーリーを紹介するのがとても難しいのだが、このような冒頭を読むと小松左京の『首都消失』みたいな本格SFを想像するかも知れない。
 しかし物語はそんな直球ではない。

 

 デパートの屋上でお父さんと一緒にゲームをして遊んだ記憶、火星に雨を降らせようとしていた研究員の田宮さんとの思い出、突然出社しなくなった同僚の様子を見に行った日。色々な場面が断片的に浮かび上がってはぐにゃりとねじれ曲がっていく。長編とも連作短編集ともどちらともいえない構成で、各エピソードもゆるく繋がっているようだがその接点がはっきりしない。同一人物と思われる人も同一人物だという確証が持てないし、舞台も時系列も判然としない。異星人による侵略を描いたものとも読めるし、よくわからない戦争で破滅してしまった人類を描いているようにも思える。それはまるで中心を欠いたドーナツそのものだ。
 でも、そこにはユラユラして、グラグラして、フラフラして、クラクラするような世界があり、それがとても不安で心地いい。ストーリーはあるけど、ない。ないけど、ある。そんな不安定さに何故か胸が締め付けられる。

 そう、北野勇作の小説は不安定だが何故か切ない。読んだ後に何かすがるものを探したくなってしまう。何か悲しい夢を見た気がするんだけど、どんな夢だったのか思い出せない。そんな感覚に似ているかもしれない。 

 

 僕は北野作品の中でこの小説がいちばん好きなのだが、ドーナツというのは確かに彼の世界を端的に表していると思うのだ。
 ドーナツの真ん中には穴がある。穴というのは「無」だ。ドーナツの真ん中には「無」が居座っている。周囲を食べる前には確かに「無」が存在していたのに、周囲を食べてしまうと穴はなくなってしまう。「無」など最初から「無かった」かのように。
 そんな不安定な存在感は、どうしてだろう、触れているとちょっと寂しくて、ちょっと哀しくなってしまうのだ。

 

<田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。/そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。>(p140)

 

 自分が何者なのかわからなくなる感覚を、えも言われぬ感情と共に描くという高度な芸当をやってのけている。

 北野作品ではお馴染みの動物、会社、火星といったモチーフが登場するほか、落語「あたま山」も重要な要素として登場。実はこの小説は他に類を見ない「落語SF」でもある。中盤には上方や落語に関する妙な考察があり、語り継がれる落語と受け継がれる記憶が比較されていて、ヘンテコなんだけどやたらに説得力があります。
 ちなみに「あたま山」はシュールな事で有名な古典落語で、頭の上に大きな池ができた男の顛末を描いている。そして頭の上の大きな池は上から見るとドーナツの穴のようだ。ここにもドーナツのイメージが登場している。表紙に記されている本書の英題は“A Man In The Donut”だ。

 

 本書は2005年にはハヤカワ文庫JAから文庫化されている。カバーイラストはどちらも西島大介だが、個人的には単行本版のカバーが気に入っている。このカバーは広げるとほぼ正方形の一枚のイラストになっていて(初期のJコレクションはすべてそういう仕様だった)、本に巻かれている時には見えない部分を広げてみるとそこでは世界の崩壊が始まっているのだ。この奇妙な小説の世界観をよく表していると思う。

 

 早川書房が刊行する年刊SFガイドブック『SFが読みたい!』2002年版には、同年創刊の「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」刊行予告の広告が掲載されている。その時点では「ハヤカワSFエンターテインメント・シリーズ」と銘打たれているが、そこには本書も仮題でアナウンスされている。仮題は『溝の中のヒト』。溝というのはレコードの溝だ。レコードはドーナツ盤とも呼ばれる。世の中には様々な所に「無」が存在している。