ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]アルジャーノンに花束を

 

 

 1966年にアメリカで刊行され、それ以来50年近くにわたって世界中で読み継がれている名作。作者は2014年に亡くなったアメリカの作家ダニエル・キイスである。

 

 主人公のチャーリイ・ゴードンは知的障害者で、32歳になっても6歳児並みの知性しかない。小さい頃に親に見捨てられた彼を、パン屋を経営するドナーは引き取り、自分の店で働かせている。障害を持ちながらも一生懸命に仕事に打ち込むチャーリイ。そんな彼に、頭を良くしてあげようとある大学の先生が話を持ちかけてくる。すでにアルジャーノンというネズミでの実験は成功し、成果をあげているという。

 はたして世界初の人体実験に挑むチャーリイ。頭が良くなることは彼のかねてからの念願だったのだ。

 そして手術は無事に終了、彼は少しずつ知性を獲得していく。やがて彼を手術した先生をも凌駕するほどの天才へと変貌していくが、知能が急激に上昇しても心は少しずつしか大人になれない。彼を待ち受けていたのは知性に目覚める喜びだけではなく、世の中の残酷さや人間関係の無情、張り裂けんばかりの孤独だった。
 手術を受けた事は正解だったのか。思い悩む彼の目前でアルジャーノンに変化があらわれる。その様子をみて自らの行く末を悟った彼はある決心をする。

 

 一応結末は伏せておくけど、あまりにも有名な物語なので大方のストーリーはよく知られているかと。本国で刊行されたのが1966年なのだが、日本で単行本が出版されたのが1978年で、文庫版が出版されたのが1999年、文庫の新版が刊行されたのが今年(2015年)という驚くべき息の長さ。出てから一年後には忘れ去られているような小説も多い今時の出版業界で、ここまでの評価を獲得しているのはまさに現代の古典といえるかも。

 この小説がここまで名作としての地位を確立し得たのは、知的障害というデリケートなテーマを見事に作品として消化しているからだろう。

 知的障害者が知能を獲得し、一段「高い」場所から世界を見る事になるが、その世界はあまりにも汚いもので……というストーリーは、そんな世界を当り前として生きている我々にとって重くのしかかる。
 そして技法的な部分でこの小説が一番評価されたのは、チャーリイの経過報告書という形式で書かれている点だろう。最初はひらがなや誤字ばかりの経過報告書が、知能を得ていくにつれて洗練された文書に変化していく。その過程そのものが物語の一部なのである。
 読者はチャーリイの一人称で天才への道のりを追体験していく。漢字や記号を使う喜びを知った時の文章には自らが新たな世界を切り拓いていることへの驚嘆が満ち溢れている。

 特筆すべきは訳者である小尾芙佐による見事な翻訳の文章だろう。原書“Flowers for Algernon”において、初期のチャーリイの文章を作者は意図的なスペルミスなどかなりトリッキーな文体で書いている。そのニュアンスを壊さずに日本語に移し替えた訳者の超絶技巧は日本の翻訳小説史に残る労作だと思う。

 

 そして知性に目覚めたチャーリイが感じる世の中への絶望は、つまり我々への絶望である訳だ。愛されていると思っていた職場の仲間たちが実は自分をバカにしていたのだと気づいてしまった時のショックは計り知れない。読者は二重の視点で物語世界に入り込むことになる。

 また、チャーリイの性に対するコンプレックスを真正面から描いている点も重要な部分だ。書かれた時代がちょっと前なので、そこまで過激な描写がある訳ではないが、頭脳が大人になって男と女というものを理解し始めたチャーリイが、憧れの女性と関係を持とうとする場面は、彼のセックスに対する感情を真摯に描いている。そしてまた大人になりきれない男の苦痛を描きだすと共に、急激に脳を成長させた人間が2人に分裂するような異常な精神状態に陥る苦悩をも同時に描く。

 この部分は作者が後に多重人格を扱った作品『24人のビリー・ミリガン』等につながっていくようだ。

 

 実はこの小説、1959年に発表された同名中編が元になっている(日本版は早川書房刊の短編集『心の鏡』に収録)。内容に微妙な相違はあるものの、基本的にストーリーは共通している。この中編版も発表時に高い評価を得ており、SF界の権威であるヒューゴー賞を受賞した。後に長編版も同賞の候補になっており、過去受賞した中編小説の長編化版が同じ賞の候補になるという異例のケースとなった。また長編版はヒューゴー賞とは別にネビュラ賞を受賞している。

 

 タイトルの意味が明確になるラストは涙なしには読めないものだ。人生は無常とはいえ、辛すぎる運命に胸を締め付けられる。
 たった数ヵ月の物語の中に、人生を凝縮したような密度の濃い日々が繰り広げられる。それは人間が神になろうとした数ヵ月だったのかも知れない。

 

 何度か映像化されているが、異色なのは2006年に韓国でテレビドラマ化された『おはよう、神様!』だろう。これは原作のドラマ化というより、2002年にフジテレビ系で放送されたドラマ版『アルジャーノンに花束を』(岡田惠和脚本)のリメイクという事らしい。何故かラブコメの要素が加わったり何でもアリな展開だった。原作の面影はほとんどないが、まあ韓国ドラマらしいドラマなのでそういうのが好きな人には面白いのかも。

 とはいえ2002年のフジテレビ版もなかなかキツイものがあったが……とか思ってたら、今年の4月にはTBSにおいて野島伸司の脚本でまたもドラマ化されるという驚愕のニュースが。ドラマ界は本当にネタ切れなんだなと思った。

 

 あ、そういや今唐突に思い出したけど、昔、氷室京介が「DEAR ALGERNON」っていう曲作ってたな。アルバムのタイトルは「FLOWERS for ALGERNON」。いい曲だった。