ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]日本沈没

 

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)

 

 

 1970年代に出版されたベストセラー。小松左京の代表作である。

 この小説に関しては、雑誌「S-Fマガジン」2006年4月号(創刊600号記念号)にて作家の小川一水氏が「心の1冊」で取り上げており、そこに書かかれた論評には僕の考えていた事が的確に記されていたので引用する。 

 

小松左京的な愛国心が好きだ。/小松左京的な愛国心は、俯瞰によってもたらされる。 (中略) 昨今の日本でつぶやかれる、陰湿で高慢なナショナリズムとはずいぶん違う。侵略に対抗して団結する心ではなく、あまりにも広い外界に出たとき少しだけ振り返って安らぐ心、それが小松さんの愛国心だ>

 

 最近簡単に「愛国心」とか言うようになったけど、「国とは何か」「国を愛するとは何か」を考える時、この小説は示唆に富んでいる。

 

 日本を微かな異変が襲い始めていた。深海潜水艇のパイロット・小野寺は地球科学博士の田所らと共に日本海溝を調査。やがて田所は日本列島が1年後に沈没すると予測をたてるが、荒唐無稽として誰も耳を貸そうとしなかった。

 しかし不穏な徴候は続く。日本政府は裏で「D計画」を発動。やがて計画は異変の調査と国民脱出の2つの目的へと分岐する。そして本格的な災害が全国規模で頻発、人々が右往左往する中、チームは全国民を国外へ脱出させるという途方もないプロジェクトに挑むことになる。

 タイトルでもう内容をすべて表しているんだけど、これは地球の地殻変動によって日本列島が海中に沈没してしまうというストーリーである。

 

 '70年代、変革期の社会不安を背景にこの小説は爆発的に売れ、映画化もされ大ヒットを記録した。地学的話題だけでなく、経済の分野等でも大きな話題となったらしい。今でも何か大きな変動がこの国で起きた時に引用されるくらいこのタイトルは知名度を獲得している。それほど衝撃的だったのである。

 よく比較されるのだが、ユダヤ人のように国土を持てず世界をさ迷うという経験を日本人はしたことがない。なので、文字通り国土が消滅してしまうという空前の事態に多くの日本人は戸惑い、うろたえ、そして泣き叫ぶ。
 これは日本人という人々のアイデンティティを探る上でとても興味深い。普段意識することはないが、土地・自然・故郷といった要素は、我々の意識形成に絶大な影響を与えているのである。
 故郷というぬくぬくした場所に閉じこもって、世界に向かってきゃんきゃんと吠えてみた所でそれは母親に守られていきがっている子供とそうかわりはない。日本及び日本人について語るとき、本書は重要な意味を持つ。

 

 そして小松左京の描く日本の人たちはカッコいい。誰もがこの未曾有の災害に真っ向から立ち向かい、前向きに、よりよい方向に未来を導くために、がんばっている。絶望に打ちひしがれながらもあきらめたりしない。相次ぐ地震や噴火、津波などの災害から必死になって生き延びようとする人々の姿は胸を打つ。

 地殻変動の過程を描いた理論的部分に関しては、正直言って難しすぎてよくわからない。ただ出版当時には修士論文に匹敵すると評価されたそうなので、かなり科学的な裏づけはしっかりしているようだ。まあSF小説なんてのはどれだけ大ボラをもっともらしく見せるかがキモなので、そこらへんは完璧です。

 

 '64年から執筆が開始されたそうだが、完成までに9年の歳月がかかり、’73年に光文社のカッパ・ノベルスから書下ろし上下巻で刊行された。'76年には“Japan Sinks”のタイトルで英訳(抄訳)されたりしながらも版を重ね、映像化、漫画化等様々なメディアへ展開。'73年の映画版には作者もちょい役で出演している。パロディ作品も数多く発表された(中でも筒井康隆の短編「日本以外全部沈没」はギャグと皮肉に満ちた作品でこれも後年映画化された)。'98年には松竹が『日本沈没1999』を公開すると発表したがこれは頓挫。記憶に新しいのは2006年の再映画化。ラストに驚くべき改変がなされ、ファンの間では物議を醸したが、作者自身はこの映画を割と気に入っていたらしい(新潮新書小松左京・著『SF魂』参照)。

 

 '95年に阪神・淡路大震災が起きた時には光文社文庫版が緊急再版され、出版当時は絵空事とされた小説の描写に読者は認識を改める事になった。また2011年の東日本大震災の際には韓国の新聞が災害を報道する際に見出しで「日本沈没」の言葉を使い批判され、謝罪したりもしている。

 災害大国日本においては、大災害が起こるたびにこの本が思い出されるのだろう。人間はどんなに衝撃を受けても忘れてしまう生き物だ。経験を語り継いでいくこと、物語の戒めを記憶に留めることが重要だと思う。

 

 ところで実はこの物語、もっと長い話だったのを出版社の要請で上下2冊の分量にまとめられたのだそうだ。そう言われてみるとなるほど、ずいぶん駆け足でストーリーが展開していて、未消化な部分が多いようだ。さらにはこの本のラストには<第一部 完>と記されている。

 そう、執筆当時、国土喪失後の日本人を描く続編の構想があったのだ。それは長い間先送りされ、幻の企画となっていたのだが、2006年版の映画公開に合わせてまさかの刊行。作者が高齢のため、有志の作家らがチームを組んでストーリーを作成、海外生活の長いSF作家・谷甲州が実際の執筆を担当したそうだ。「小松左京+谷甲州」の名義で『日本沈没 第二部』は小学館から刊行。現在は小学館文庫に収められている。

 『第二部』のラストではさらなる日本人の旅立ちが示唆されている。