ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]かくして冥王星は降格された 太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて

 

かくして冥王星は降格された―太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて

かくして冥王星は降格された―太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて

 

  

 昨年末から今年初めにかけて、ヘンテコなニュースが一部で話題になった。

 曰く、『日本時間2015年1月5日午前2時47分、冥王星木星の真後ろを通過することにより地球全体の重力が軽減され、部分的に数分間無重力状態になる』とNASAが発表したという。

 遠く離れた冥王星木星が地球の重力に人間が体感できるほどの影響を与えられる訳ないだろ、と普通に考えればわかる訳で、普通のメディアは無視したし、もちろん結果的にガセだった。

 しかし、やっぱり冥王星ってこういう神秘的なパワーを持つ星っていうイメージがあるのかな、とか考えてしまった。

 

 冥王星は昔から奇妙な「惑星」だった。軌道はいびつだし地球の衛星である月よりも小さい。でも、太陽の光の届かない太陽系の端っこで、カロンという衛星をつれて健気に公転している。幼かった僕は学校の図書館で図鑑を眺めながらそんな異端の惑星をイメージしていた。 

 そんな冥王星が一躍脚光を浴びたのは2006年。8月にチェコプラハで開催された国際天文学連合(IAU)で冥王星が「惑星」としての地位を追われ、「準惑星(dwarf planet)」とされたのだ。
 その様子は日本でも大きく報道されたが、扱いとしては「科学ニュースの面白いトピック」といった感じで、まあ何か難しい事はよくわからないが、こういう感じで議論は進行しているらしい、といったニュアンスで報道されていたように思う。
 しかしアメリカ国内ではもっと大きな論争を巻き起こしていたという。なにせ、冥王星は唯一アメリカ人が発見した「惑星」だったからだ。
 科学的良心を訴える派、冥王星に同情的な派、そしてアメリカのプライドを堅持したい派、論理的な意見、感傷的な意見。いろいろな考えが噴出し大論争へと発展。本書はそんな喧々諤々の狂想を、騒動の中心にいたニューヨーク・ヘイデンプラネタリウムの天体物理学者ニール・ドグラース・タイソン博士が機知とユーモアたっぷりに描き出すノンフィクション、そう、「冥王星事件簿」である。原題はその名も“The Pluto Files: The Rise and Fall of America's Favorite Planet”だ。

 

 本書を読んでいて感じるのはアメリカの人々の冥王星への愛着である。まあ著者が学者なので周りにそういう人が多いのかも知れないが、小学生たちが「冥王星が惑星じゃないなんて言わないで!」なんて手紙を送ってきたりするのだから、やっぱりその愛着は日本とは比にならないようだ。冥王星に友達がいなくなるのは可哀想だというのだ。
 「プルートー(pluto)」という可愛いらしい英語名もアメリカの子供たちに人気がある理由の1つだろう。この名前も11歳の女の子が提案したものだというから人気があるのも納得。ディズニーでおなじみ、ミッキーのペット・プルートも、この星との明確な関係は言及されていないが同時期にデビューしているし、94番目の元素プルトニウムの名前はこの星の名前から取られたのだ。
 「冥王星」といういかつい名前がつけられた日本ではこの星にこういう愛着はあまりないように思う。僕は個人的には強そうでカッコイイから好きなのだが、まあそれでも確かに愛着とはちょっと違うな(ちなみに話は逸れるが、plutoを日本語に翻訳するとき「幽王星」という名前も考案されていたそうだ。これは怖い)。

 本書の著者タイソン博士はその勤務先ヘイデンプラネタリウムにおいて冥王星を地球や木星といった他の惑星とは別に展示していた事から2001年頃にアメリカで様々な批判を浴びた人物。それは苦難の時代だったそうで、それを考えると今は隔世の感がある。そんなこともありこの騒動についても克明に記録している。

 タイソン博士の特筆すべきところはその語り口にわかりやすさとユーモアを忘れないところ。本書中には豊富な資料が収録されているが、冥王星を歌った歌や冥王星騒動をコミカルに風刺したマンガなど初心者にも面白く読める資料を多く収録しており、実際のところそれらを眺めているだけでもとても楽しい。
 そもそも冥王星が惑星としてそれまで扱われていたのは実は「惑星」の定義が明確になされていなかったためである。太陽系の深部まで観測できるよう技術が向上し、太陽系外縁に次々と天体が発見され太陽系が広がった今、「惑星」の定義をしっかりした上で冥王星の処遇を決めることは天文学と科学の前進に不可欠なものだ。本書にはその過程が記されている。
 しかし、専門的になりすぎずこのような科学的啓蒙書を著すのはセンスが必要だ。口絵にはロケットや天体写真に混じって、ディズニーのプルートとタイソン博士の2ショット写真のほか、パサデナで開催された科学者たちによる「冥王星追悼パレード」の様子など楽しそうな科学者たちの様子が掲載されており、とっつきにくい科学に対する僕らのイメージをきっと変えてくれる。

 

 この本では、冥王星をめぐる一連の騒動を通して科学のあるべき姿や人々の思い入れを考えさてくれる。しかもときどきギャグを挟んで笑わせてもくれる。
 そしてもちろん、「準惑星」へと格下げされた今も冥王星は今までと変わらず太陽を巡っている。遠く地球に暮らす人類の大騒ぎなどどこ吹く風だろう。そう、冥王星は昔から太陽系辺境の星などではなかった。もうずっと昔から太陽系の外側に暮らす大家族たちのリーダー格だったのだから。