ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]夢の涯てまでも

 

夢の涯てまでも (集英社文庫)

夢の涯てまでも (集英社文庫)

 

 

 1999年冬、インドの核衛星が制能不能に陥った。世界が滅亡の予感に震える中、クレアはサムと運命的な出会いを果たす。その瞬間、世界中を巡る運命の旅が始まった。
 クレアの元恋人ユージーン、私立探偵ヴィンターらを巻き込んで、旅はリスボン、モスクワ、北京、東京、そしてオーストラリアへ。旅の終着地で彼らは何を目にするのか。

 

 ヴィム・ヴェンダース監督が1991年に日・仏・米・独・オーストラリアの五カ国合作で公開したSFロードムービー“Until the End of the World”。本書はそのノベライゼーションである。表紙にはヴェンダースと、彼と共に脚本を担当したピーター・カーレイ、そして作家の蒔岡雪子の名が表記されており、奥付では蒔岡が訳者として記載されている。ややこしいが、実際は蒔岡が脚本をもとに日本オリジナルノベライズを手がけた、という事らしい。

 

 構想12年、撮影・編集に1年半。4つの大陸、10の国々が舞台。世界的に評価を高めていた時期のヴェンダースが手がけた超大作であり、ウィリアム・ハート、サム・ニール、マックス・フォン・シドーといった錚々たるスターが出演、大いに期待された映画だったが、結果的にこの映画は大失敗し、その後ヴェンダースは長い低迷期に入る事になる。
 ここら辺については多くの本で触れられているが、『フィルムメーカーズ11 ヴィム・ヴェンダース』(キネ旬ムック/2000年)や『e/mブックス1 ヴィム・ヴェンダース』(エスクァイアマガジンジャパン/1997年 ※2002年に改訂版)あたりが平易で詳しい。特に前者に収録されている荻野洋一による作品論はわかりやすい。

 

 簡単に言うと、この映画は歪なのだ。監督の思い入れが強すぎて映画はアンバランスで、観客は置いてけぼりをくらってしまう。彼の監督作の中では「壮大な失敗作」とされ、強烈な映像表現とスケールの大きすぎるストーリーを芸術志向の監督が手がけて失敗した典型的な例と言えるかも知れない。長らくDVD化もさなかったし、なんかフィルモグラフィから「なかったこと」にされている節もある。
 とはいえもちろん水準以上のレベルには達している映画ではある。近未来の、今観ると失笑ものの都市の描写を差し引いても、もし「ヴェンダースが監督でなければ」それなりに評価されていたかも知れない。何とも収まりの悪い映画なのだ。
 だけど僕はこの映画が割と好きである。単純に世界観が興味深いし、後半で明らかになるテーマにも引き込まれるからだ。

 

 サムがその両親とともに取り組んでいたのは盲目の人に映像を見せる技術の開発だった。物語の後半はその実験の場面に費やされる。
 やがてその技術は改良されていくが、人々はそこに映し出される映像に溺れてしまう。ドラッグならぬ映像で中毒状態になる人々の姿。映像の力で禁断の領域に堕ちていく主人公らは何によって救われるのか。
 映画でこのテーマを描く事は無謀かも知れず、それを恐れず撮ったヴェンダースはある意味誰も成し遂げられなかった事をした訳だ。
 ここに登場する映像は奇怪なリアリティを持っており、確かに観ていて引き込まれてしまうものがある。

 

 またこの映画を語る上では音楽も外せない。元々音楽にこだわりのある監督だが、今回も冒頭からエンディングまでやや過剰な程にインパクトのある楽曲が多く使用されている。サントラにはトーキング・ヘッズやルー・リード、R.E.M.、エルヴィス・コステロ、デペッシュ・モードといった音楽に疎い僕でも知っているような豪華なアーティストが参加していて、特にU2が歌うエンディングテーマ“Until the End of the World”はキリスト教の原罪を歌詞に取り入れており非常にエモーショナル。個人的には今でもU2の中でかなり好きな曲です。オリジナルアルバム『アクトン・ベイビー』に収録されたものと少しバージョンが違うサントラ版がオススメ。

 

 さて、そんな映像の映画であり音楽の映画である『夢の涯てまでも』を小説化したこの本は、大まかなストーリーは映画の通りだが結末は少し変更されている。

 映画はあまりにも断片的な割に冗長で、しかも独りよがりな事がファンからも酷評されたが、完全なバージョンは約6時間あるそうで、かなり印象が違うと言われている。この小説では登場人物らの微細な心の動きまで書き込まれ、その完全版に少しは近いのかも。

 ただ途中で著者のリアルな独白が挿入されるのには少し驚いた(p64)。

 

<4月のその朝、僕にはライバルはいなかった。僕とクレアは、そんな次元を超えていた。僕らが元のカップルに戻ることはない。新しい恋にも当分縁は無い>(映画より)

 

 こう言ってしまうととても陳腐だけど、恥ずかしがらずに言ってしまえば、この物語の根幹は愛を巡る旅だ。Until the End of the World。彼らはこの世の終りまで、愛を追い求め続けている。