ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]アルゴ

 

アルゴ (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) (ハヤカワノンフィクション文庫)

アルゴ (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) (ハヤカワノンフィクション文庫)

 

 

 大使館や領事館といった在外公館は、これまで様々な政治的事件の舞台となってきた。僕は1996年に発生したペルー・日本大使公邸占拠事件が記憶に新しいけど、この時は人質が解放されるまで4ヶ月もかかり、毎日ニュースを固唾を飲んで見ていたのを憶えている。

 ところが1979年に起きたイラン・アメリカ大使館占拠事件は人質が完全に解放されるまで何と444日を要している。この事件で特筆すべきは、大使館が占拠される直前に逃げ延びた人間が6人おり、その後CIAの極秘作戦により国外に脱出していたという点だ。

 2012年にアメリカで製作された映画『アルゴ』はこの作戦をベン・アフレック監督&主演で映画化したもので、第85回アカデミー賞作品賞を受賞している。

 

 これが映画化に向いていたのはその特異性のためだ。当時は明らかにされなかったが、何とCIAは6人の救出のために架空のSF映画製作をでっちあげ、そのロケハンクルーに偽装して脱出させたのだ。「アルゴ」とはその偽映画のタイトルである。

 本書はその作戦の指揮をとったCIA局員で偽装工作のスペシャリスト、アントニオ・メンデス自身が当時を回想し作戦の全貌を明らかにしたノンフィクション‟ARGO:How the CIA and Hollywood Pulled off the Most Audacious Rescue in History”の邦訳だ。作家・ライターのマット・バグリオが共著者として参加している。

 映画と同名のタイトルだが、映画はこれとは別に雑誌に発表されたルポルタージュ等を原作としており、正確には本書は原作ではない。しかし映画版と比較する事で当時の国際情勢やアメリカ国内の様子がより子細に理解できる。カーター大統領の弱腰の対応により政権が支持を失っていく過程、大使館の人質救出作戦イーグル・クロウ(鷲の爪)の失敗といった背景を知っておくと、映画もより楽しめるはず。

※ちなみに著者は1967年から74年までの7年間、沖縄やバンコクなどに駐在していたそう。沖縄県民の僕としてはこんな本を読んでいていきなり沖縄が登場すると面食らってしまう。

 

 映画版と本書の最も大きい相違は描き方の比重の違いだろう。映画版はやはり画面的な派手さが求められるから、始まってしばらくするとアルゴ作戦を実行する段階に突入してしまう。まあ偽映画の製作という事実を映画で描く、という所に面白さがあるわけだし、こういう演出も仕方ないのだろう。

 対して本書の方は事件発生の経過からCIA内での様々な作戦案の検討、下準備等がじっくりと描かれる。だから実際にアルゴ作戦を実行するシーンは本書においてはむしろクライマックスである。何しろ著者のメンデスがイランに降り立つのは本全体の約8割が過ぎた所だ。

 その他ストーリーも大きく変更されていたりする。映画版は「事実に忠実な映画化」を売りにしていたが、実際はかなり脚色されている。まあ映像的に面白くないといけないからね、しょうがないだろうなとは思う。

 

 冷静に考えてみたら当たり前なのだが諜報員の活動なんて大半は地味なのだ。気づかれないように実行するのが目的なのだから。

 だからこそその裏をかいたのがアルゴ作戦の驚くべき点である。やはり映画撮影班に偽装するという作戦は突飛すぎる訳で、<私たちが向き合っているのは普通ではない状況だ。だとしたら、いっそ、地味な設定とは反対の方向に進んでみてはどうだろう?最高に派手な履歴なら、まさかそれが偽装工作用に作られたものだとは誰も思わないのではないか?>(p188)という部分にかなり思い切りが必要だったのが伺える。政府の中には<疑念を抱く人々がいるということだった。大胆すぎる、無鉄砲すぎる、複雑すぎるといった理由なのだろう。私としては、それこそが成功の秘訣だと思っていたのだが>(p239)という。

 元々この救出作戦が困難だったのは、救出対象の6人の年齢や性別がまちまちだった点だ。また一般人が作戦をスムーズに遂行するには本人らが乗り気で参加できる作戦でなくてはならない。その意味で偽映画作戦は実は突飛に見えてなかなか巧妙な作戦だった。

 

 もちろんハッタリだけで国家の作戦が遂行できる訳もなく、実際にハリウッドの有力者の協力を得て映画製作会社を設立、製作発表までしてしまうのだ。なんか筒井康隆の『富豪刑事』みたい。事情を知らない関係者から映画の企画が本当に持ち込まれたりしたそうだ。

  SFファン的に驚くのはこの偽映画『アルゴ』の原作がロジャー・ゼラズニイの小説『光の王』だったという点だろう。確かにインド神話的世界観のこの小説ならイランでロケハンしてても不自然ではないかも。もし実際に映画化が実現していたら……とか想像してみる。

 

 それにしてもこんな機密も一定期間を過ぎたらあっさり公開してしまうアメリカという国が凄い(しかも映画化してしまう)。本書にはスパイ活動の一端が垣間見える描写も多く、非常に興味深い。歴史の裏側で進行したスリリングな「嘘」は、今の世界をどう形作ったのだろう。本書は現在の中東とアメリカの関係を考える上でも参考になるかも。