ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]死んでいるかしら

 

 

 今年もノーベル賞の発表の季節になって、もうこの時期の恒例みたいになっている村上春樹文学賞なるかどうかの騒動で今年もマスコミは持ちきりだった。

 そもそもノーベル文学賞は候補者を毎年発表していない訳で、獲るかどうかってのは予想屋が勝手に予想して騒いでいるに過ぎない。

 村上春樹は実際ノミネートされているかどうかも分からない賞の事で毎年騒がれてウンザリしてるのではなかろうか。

 日本人のノーベル文学賞受賞者といえば現在までに川端康成大江健三郎の2人がいるが、川端康成は受賞時、「翻訳者のおかげで評価されたのではないか」と『雪国』を英訳したエドワード・G・サイデンステッカー博士に賞金の半分を渡そうとしたそうだ。

 評論家・翻訳者の大森望は著書の中でこう述べている。

<たとえ意識していなくても、ある作品を面白いと思ったりつまらないと思ったりするのが、じつは相当程度まで翻訳の出来に左右されている可能性は高い>(『特盛!SF翻訳講座』研究社、p171)

 

 海外小説が好きな人なら必ずお世話になっている翻訳者。普段、本を読む上でその存在を意識する事はあまりない。それは「普通に訳している」のが当たり前、という前提があるからだ。

 

 明治や大正の時代には海外の小説を時には流行作家が自由に翻案したりもしたようだが、現代ではこういうのはほとんど見られない。基本的に英語の原文を忠実に日本語に書き換えている、という前提で僕らは読んでいるから、その小説が面白かった/つまらなかったという判断をするときに矛先を向けるのは作者の方だ。

 でもそこには翻訳者のセンスや知識が多少なりとも介在している。もしかしたらあなたが海外小説を読んで「これつまらんな」と感じたとしたら、それは作者のせいではなく翻訳者のせいかも知れない。

 人間がバベルの塔を造ろうとした時に神様は罰として言語をバラバラにしたそうだから、言語の相違によるすれ違い、悲喜劇というのはその頃から始まったのだろう。
 ただ僕個人の印象で言うと、翻訳者には名文家が多い。様々な作家の様々な文章に触れているからか、話題も幅広い。だから、翻訳者のエッセイには面白いものが多い。ような気がする。

 

 前置きが長くなったが、『死んでいるかしら』は現代英米文学を多く訳している柴田元幸が徒然綴るエッセイである。P・オースター、S・ミルハウザー、T・ピンチョン、S・エリクソンなど多くの翻訳の実績を残しており、日本の文学界における貢献度は非常に高い人物である。Wikipediaによるとレベッカ・ブラウンなどは本国アメリカよりも日本での方が人気が高いそうだから、その訳文の質の高さが伺える。

 本書は柴田氏が様々な媒体に発表したエッセイをまとめたもので、単行本は1997年刊行なのでもう18年も前である。文庫化にあたって2編新たに収録されているが、そういうワケなので全体的に話題は古い。なにしろ20世紀のエッセイなのだから、アメリカの同時多発テロ東日本大震災も起きていない。しかし柴田氏は講談社エッセイ賞を受賞した事もある程のエッセイの名手。話題は古びていてもその面白さは変わらないのだ。だからこそ現在に文庫化されるのだろう。

 

 教員を勤める大学の話や自分が暮らす土地の話、日常にふと思ったことや何気ない話題を面白おかしく書いたものが大半だが、趣味である音楽の話題も多い。デパート等で耳にする当たり障りのないBGMの事を「エレベーター・ミュージック」もしくは「ミューザック」と呼ぶなんて知りませんでした。

 もちろん本業である翻訳に関する話題も多く、英語に関するちょっとタメになる話は興味深い。
 例えばcrocodileとalligatorの話などは、日本語で同じ「ワニ」とひとまとめにしてしまう2種類の生き物について実に軽妙に、そして人を喰った筆さばきで書いている。いわゆる「クロコダイルの涙」のエピソードも出てくる。

 そもそも題名からしてワケがわからない。「死んでいるかしら」なんて言葉を使う場面なんて人生においてそうそう無い。でも柴田氏は思うようなのだ。自分はもう死んでいるのではないだろうか、と。あくまで軽いノリで書いてはいるが、なんかこの主題で本が一冊くらい書けるのではないか、とちょっと考えさせられた。ちなみに英語では“Wonder If I'm Dead"だそうです。

 

 そんな感じで読者を微妙に哲学的な気持にさせながら翻訳者の日常は綴られていく。<いつの時代でも、薄めの文庫本は普通の醬油ラーメンあたりと、厚めのやつはチャーシューメンあたりと、価格的にもだいたい対応しているように思う>(本書p115)とか妙に納得させられました。笑ったり頷いたりして、読み終わった後には幸福って何だろうな、とか少しだけ思いを馳せてしまった。

 本書ではきたむらさとしのイラストも非常にいい味を出しているんだけど、柴田氏の似顔絵は本人によく似ている上に愛嬌があって良い。その他のイラストもエッセイの内容をよく表現している。
 もちろんの事だが海外文学に関する話題も盛りだくさんなので海外文学ファンにも読みごたえありだ。