ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年

 

ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年 (文春文庫)

ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年 (文春文庫)

 

 

 2013年に制作された是枝裕和監督の映画『そして父になる』。福山雅治が主演し、第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞、アメリカの映画会社ドリームワークスによるリメイクの報道等で大きな話題となったが、この映画のエンドロールで「参考文献」としてクレジットされているのが本書、沖縄で起きた赤ちゃん取り違え事件のルポ『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』である。

 

 冒頭は沖縄の地元新聞に関する話題から始まる。1977(昭和52)年7月、ロッキード事件の話題で大手マスコミが持ちきりな中、沖縄の地元新聞にはある「スクープ」が形さされた。それは当時全国で頻発していた赤ちゃん取り違え事件が沖縄県中部の沖縄市でも起きていた事が判明したのだ。取り違えられたのは城間家の四女と伊佐家の長女(両家とも仮名)、子供たちは6歳。もうすっかりそれぞれの家族の一員として生活している年齢だ。

 小学校に上がる前の血液検査といういたって単純なきっかけから判明した取り違えは、やがてこの種の事件としては異例の本格的な裁判へと発展する。沖縄という地縁血縁の結びつきが強い地域で、事件は2つの家族に過酷な試練をもたらしたのだった。

 著者は『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど沖縄と縁の深いノンフィクション作家・奥野修司だが、その縁の原点はまさにこの事件の取材に始まる。

 サブタイトルは「赤ちゃん取り違え事件の十七年」だが、単行本刊行の約7年半後に文庫化されるまでの間に著者は追加取材を行っており、合計約25年に渡る長期取材を行っている。

 

 ここでこの本の成り立ちについて簡単に説明するが、新聞報道がなされた直後から奥野氏はこの事件に関わっている。当時女性週刊誌の記者をしていた彼はこの事件に関する仕事のため沖縄へ派遣されおり、その仕事が終わった後も両家族と個人的な交流を続け、取材し、それをこうして一冊の本にまとめているのだ。

 その週刊誌の仕事というのは、かつて長崎で別の取り違え事件の当事者になった別の夫婦と、沖縄の城間・伊佐両夫婦を引き合わせ雑誌の誌面上で対談させるという企画だった。

 もちろんその時の様子も本書では描写されており(第3章冒頭)、それまで傍観者的立場で記述していた著者がこの時突然登場人物となってルポの内容に登場するから読んでてちょっと変な感じではある。

 だが奥野氏はこの対談の場面は別として、それ以外はなるべく取材対象に感情移入しないように接しているようである。あとがきにも<だが、私はあくまで第三者である。家族といっしょになって問題の解決を手助けするなどということはできない。できるかぎり彼らの話を聞くことに徹した>(p398)と記している。

 

 でもよくよく読んでいくと、実際、著者は自制しながらもどうしても手助けをしてしまう場面があったようで、両家族につてをたどって弁護士を紹介したりしている。

 逆に言えばそれくらい著者はこの事件に思い入れを持っていたのだろう。かなり突っ込んだ取材をしている。城間/伊佐両夫婦の出自までさかのぼり、それは沖縄の現代史を掘り返す事でもある。離島での開拓時代、B円からドルへの切り替えなど沖縄戦後史をなぞりつつ、2つの家族の歴史を書き綴っていく。この部分は本土とはまったく違う戦後を歩んだ沖縄の社会状況がよく纏められている。

 これだけ関心を持って取材しているのだから、その後著者が沖縄と深く関わるようになるのも納得である。

 

 という訳でかなり著者の想いが込められていると思われるこの本だが、映画『そして父になる』は、赤ちゃん取り違え事件によって絆が壊された家族を描いている点以外は舞台も時代背景も大きく変更されている。映画の中でちらっと「沖縄の夏」のエピソードが語られるが、もしかしたら本書への多少のリスペクトなのかも知れない。

 前述の通り本書はエンドロールに「参考文献」とクレジットされている。この表記は非常に珍しいが、実は映画公開後にこれに関して著者・出版社と映画製作会社の間でひと悶着があったらしい。詳しくは長くなるのでここには書かないが、世知辛いなあ……と思わせる騒動ではある。

 ただ映画自体は良く出来ていて、是枝監督らしい静かな空気感の中、引き裂かれていく家族の物語が淡々と描かれていて胸を打った。 

 ちなみに映画では随所に「螺旋」が重要なモチーフとして登場する。これは間違いなくDNAの二重らせん表現しているのだろう。

 

 本書でも父親たちと母親たちは苦悩する。産みの親か育ての親か。やがて育った子供たちはどんな決断をするのか。それぞれの道は意外な形で交わっていく。まさに事実は小説より奇なり、である。

 

<犬や猫じゃあるまいし、人間の子供はそんな簡単に交換などできるものか>(p62)