ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]Boichi作品集 HOTEL

 

Boichi 作品集 HOTEL (モーニング KC)

Boichi 作品集 HOTEL (モーニング KC)

 

 

 2030年代、人類による環境破壊の結果、地球は気温上昇に見舞われていた。もう取り返しのつかないところまで来てしまっており、どうがんばってもやがて地球は人類の住めない惑星になってしまうだろう。127光年の先に移住が可能かもしれない星が見つかったが、そこに到達するのは17万年後だ。
 自らの罪を記憶するために、人類は「塔」を建設する。人類以外の生物のDNAを保存するために。それは一見無意味な行為のように見えたが、人類が地球を後戻りできない状態にしてしまった責任を負うために必要な事だったのだ。
 やがて生物のDNAを保存した塔は「ホテル」と呼ばれるようになり、「支配人」である人工知能は人類が消え去った後もただひたすら「チェックアウト」の日を待ち続けた。そんな日がくる訳はないのだが……。

 

 韓国出身のマンガ家Boichi(ボウイチ)が雑誌「モーニング」等に発表した短編を集めた作品集。「全てはマグロのためだった」が創元SF文庫の年刊日本SF傑作選2008年版『超弦領域』にコミックとして唯一収録されるなど、SF界でも注目を集める作者のSFマインドが味わえる一冊だ。

 『超弦領域』ではSFに対する思いを切々と語った熱いコメントを寄せ、自身がSF者である事を知らしめたBoichi。本書はSF界の巨匠アーサー・C・クラークにささげられており、5編の短編と4編の描き下ろしショートSFが収められている。

 

 表題作は人類の滅亡後も孤独に地球上の生物のDNAを保管し続けるコンピュータの独白とともに、人類の愚行とそれでも希望を捨てない人工知能の奮闘を壮大なスケールで描き出す傑作。無意味に思える目的のために愚直に堅実に仕事を続ける「支配人」が報われる日は来るのか。

 あまりにも胸が詰まるようなストーリーだが、人間が体験できないような雄大な時間の流れを目撃できるのはSFコミックならでは。そしてラストにはちょっと得がたい感動がある。

 

 「PRESENT」は、クリスマスの季節を舞台に描く切ない作品。心臓疾患により意識不明に陥った彼女が目覚めた時、世界は何か違和感を感じさせるものだった。どうしても夫にプレゼントをあげたかった彼女は何があげられるかを必死に考える。早くプレゼントを渡さなければ手遅れになるような気がしたのだ。

 嘘を通して守られる夫婦の絆。全てを失っても守りたいもの。男女の愛は脆く危ういものだが、自らが苦痛を被ってでもその愛のために用意したプレゼントとは。ラスト、主人公の姿に心を打たれる。

 小ネタとして「HOTEL」とのリンクも仕込まれていて、それが物語の背景を鮮明にする。そしてそれに気づいた読者はさらに物悲しい気持になるだろう。

 

 前述の「全てはマグロの~」はマグロが絶滅した地球が舞台。幼い頃に最後のマグロを口にした男は、あの美味しさをこの地球に取り戻すためにあらゆる手を尽くすのだった。「マグロが食べたい」という超日常的な願望から宇宙スケールのSFに発展していく過程は圧巻。年刊日本SF傑作選に選出されるのも納得の作品。

 あまりにご都合主義な展開はギャグを交え描写されるけど、正体不明の情熱に何だか読者も熱くなるだろう。マグロが食べたくなる一作。これもちょっとだけ「HOTEL」とのリンクが仕込まれている。あと作中で語られる「ネズミ」の話は科学の持つ本質をさりげなく語っている。

 

 「Stephanos」は神話的世界観を現代に映し出す重い作品。グロ描写も多くこの雰囲気が苦手な人には受け付けない作風だと思うが、最後で作中に仕掛けられた数々の伏線が繫がり圧倒的な迫力で新世界の到来を告げる。

 なんだかぶっ飛んでる内容なので、これだけ読むとこの作者なんかやべーなと感じるかも。しかし次の作品ではさらにとんでもない展開になる。

 

 オールカラー作品「Diadem」は異世界で巨大帝国に闘いを挑む少女の物語。神話的世界は作者の頭の中で強固に出来上がっているらしく、この世界を救うために殺戮の限りをつくす少女の運命が描かれる。様々な読み方はできると思うが、個人的には正直これ系のマンガは苦手だったりする。

 ともあれ前半のガチガチのSF作品から最後のファンタジー的な世界まで幅広い振れ幅で現実離れした世界を描くセンスは驚くべき力量。

 

 全体的に人が持つ「想い」や「強い気持」が世界を動かすような傾向があって、それが人間(人間以外も)のいじらしさや弱さ、愛しさを鮮明に浮かび上がらせている。ビジュアルイメージが強烈なのでどれも脳裏に残ってしまうが、やはり読みどころはその巨視的な視線と人間愛だ。
 描き下ろしのショートSFは肩の力を抜いて楽しめるライトな作品だけどどれもインパクトのある作品。こちらも必読。