ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]やがてヒトに与えられた時が満ちて……

 

やがてヒトに与えられた時が満ちて… (角川文庫)

やがてヒトに与えられた時が満ちて… (角川文庫)

 

 

 地球軌道上に浮かぶスペースコロニー、ラグランジェ植民都市。そこはCPUネットワークによって保護され30万人が暮らす、完全に自給自足で自律的な閉鎖都市である。
 この世界に暮らす青年ザンジバルが植物域に足を踏み入れた時、奇妙な実験に没頭する若い女性オイロパに出会う。彼は成り行きで実験を手伝う羽目になるが、聞くと彼女は影を作る実験をしているという。首をかしげるザンジバル。すべてが制御されているこの世界では影が存在せず、彼は影というものを理解することができないのだ。

 

 芥川賞作家・池澤夏樹が描く初の近未来SF小説。池澤氏は1993年から十数年間沖縄に在住しており、この小説はその期間中に出版されている。SFといっても派手な展開はなく静謐に物語は進んでいくが、しかしこれは衝撃的な物語だ。

 かつて大いなる災厄によって人類が存続の危機に陥った時、選ばれた人々が移住したのは軌道上のラクランジェ点に造られた人工衛星都市。
 ある程度地球の環境を模しながら、実際にはまったく違うこの世界で生きていくために、そして故郷を失う精神的ショックを少しでも和らげるために人々は地球を思い出す事をやめた。地球の記憶を懐古する事は追憶主義と呼ばれCPUネットワークはそれを慎重に排除していった。
 そして植民都市は建設以来7、8世代を経ようとしている。

 

<この世界は完成されていて、改善の余地はない。この世界は有限であって、拡張の余地はない。この二つの原理を前提にしない限り、この植民都市は成立しないし、維持もできない>(p49)

 

 この物語は、自分が何者なのかに気づき始めた人類が静かに歩み出そうとする物語だ。植民都市では今ある環境を受け入れ、何も変わらない事が優先される。見事なまでに均一化されている。よりよい暮らしを想像する、という贅沢を求めるには人類の数は少なくなりすぎていた。生き延びてはいるが生きる目的を失った種である人類は、どこへ向かうこともできずにいた。
 そんな人類は、帰る場所のない迷子のようだ。5つの章で構成される物語は驚きと発見に満ちているが、それなのになぜか悲しい気持になる。

 

<私はそうは思わない。私にはできそうにない。失ったものを数えて生きることはできない。誰にもできない。そう思います>(p30)

 

 争いも悲劇もない完璧な世界。進歩することはないが、退歩もしない完璧な世界。完璧な世界なのであれば、人々にとってそこに暮らす事は地球で暮らす事よりも幸せであるはずだ。ではなぜ地球の追憶にふける事は禁忌なのか。
 地球は人類にとって「完璧」ではなかった。不確定要素や不必要な要素も多かった。例えば青い空とか、影とかだ。だがその人間の活動を凌駕するほどの圧倒的で強烈な環境が、生きる事に重要なある種の感覚を与えてくれていた。
 それを喪失した事の(しかも自ら望んでそうした事の)重圧に耐えきれなかったから、人類は地球の思い出を捨てたのだ。

 

 やがて主人公はこの世界に違和感と疑問を抱く。彼が向かう先は何処なのか。その結末には言いようのない感動と心細さを感じた。
 出生率の低下など現実の問題とリンクする部分もあり、読者は作中の登場人物たちと自分の境遇を重ね合わせてしまうはず。僕らが暮らすこの世界に僕らはどのように接しているだろう。
 もしかすると僕らはとても大切な事から目を背けているのかも知れない。作中の登場人物たちを無知と笑う事は簡単だが、その姿が自分に重なる時たまらなく不安になる。彼らは何を誤ったのだろう。僕らは何を失ったのだろう。運命に抵抗する情熱もない僕と彼らとの違いは何か。答えはもちろん無い。

 

 途中数式が登場したりするし、ラストは予想外なスケールへと話が広がるし意外と本格的なSF小説なのだが、『星の王子さま』がモチーフとして登場したりして、読み終えてみると、なるほど、雰囲気といいテーマといい池澤夏樹らしい小説だなあと思うはず。

 

 「太陽」を表す以前期の言語を冠したという団体「ティーダ研究会」。東アジアの少数民族だったリューキュー系の男性「チネンソン」など、沖縄の人なら気付く単語がさりげなく配置されている。

 

 1996年に河出書房新社から刊行。単行本は横長の変わった造本で、写真家・普後均による美しい写真が多数挿入されている。ラグランジェ植民都市は影の無い世界だが、これらの写真は恐らく意図的にそうしたのだろう、陰影が強調されている。影が強調される事によって逆説的に光の存在が際立つのだ。

 2007年に角川文庫にて文庫化。写真も点数がかなり削られてはいるがカラーで収録されている。

 文庫版あとがきで池澤氏は普後氏と共にカナダの巨大ショッピングモール「ウェスト・エドモントン・モール」と、アメリカの人工生態系実験施設「バイオスフィア2」を訪れた事を書いている。もしかして本書に収録されているのはそこの写真なんだろうか……等と想像する。

 

 ところで文庫版には冒頭に「星空とメランコリア」と題された掌編が4編収録されている。不思議な雰囲気の作品だが、これは2001年にNHKスペシャルで放送された「宇宙 未知への大紀行」の書籍版のために書き下ろされたもの。短い中に壮大な時間的・空間的広がりが描かれ、多くの発見がある作品だ。地球外知性へのメッセージに百科事典と世界文学全集を添付するというのはいかにもこの作者らしいな、と思う。