ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]Self-Reference ENGINE

 

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 2012年、『道化師の蝶』で第146回芥川賞を受賞した円城塔のデビュー作。2006年に第7回小松左京賞の最終候補に残りながらも落選したこの奇怪な作品は、それまで誰も読んだ事のないようなSF小説だった。

 

1.それは、あまりにもあっけない永遠だった―
 本書のあらすじを説明するのは難しい。その理由は読んでめばすぐに解るが、本書の中では時空構造が完全に壊れてしまっているからである。
 計算の速度上限はどこにあるのか。難しい問いだが、それは結局自然現象という計算の速度にはかなわないように思えた。

 そしてその限界を見極めるため自然現象として計算を続ける電子頭脳たちはやがて彼らを造りあげた科学者らをも超え巨大知性体として進化、自らを自然現象そのものへとシフトしていき、その結果やがて「イベント」が発生する。自然そのものとなった巨大知性体群は演算のささやかな代償として時空構造を粉々にしたのだ。

 本書の中である人物が「イベント」とは<時間が時間自身を落っことして粉々にしてしまった事件>だと説明する。訳がわからない説明だが、でもこの説明がいちばんしっくりくる。

 そしてこの物語はそんな時空構造がメチャクチャになった世界での、巨大知性体や人間たちのささやかなエピソード集である。

 

2.僕と彼女の時空をめぐる冒険
 時間が壊れているのだから、通常の我々の既成概念はことごとく裏切られる。その世界は緻密に設計されているようでもあるが……正直言ってよくわからない。1つ1つのエピソードは、そんな世界に生きる者たちの(彼らも自分たちの世界が一体どうなってしまったのかよく理解できていない)悲喜劇が情感たっぷりに描かれているが、全体的な構成はガチガチの理系論理に基づいている。

 

 円城塔は東北大の理学部を卒業後東京大学の大学院を修了しており、そんな作者が描く世界はよく解らないがなにやらちゃんとした論理に貫かれているようだ。
 様々な出来事を通して(ついには宇宙人まで登場)、人類・巨大知性体ともども運命やら時空やらに翻弄されるが、彼らの人間臭さはとても印象に残る。
 科学、数学、ギャグが入り乱れ、最後には何故か切ない感動さえも感じさせてしまう。もしかしたら作者が言いたいことはとてもシンプルなものなのかも知れない。どんな狂った世界に生きていても、それが何者かに支配された人生であっても、それでも自分らしく生きることは大切な事なんだよ、と。

 

3.とにかくも立ち続けるのだ
 さて、本書が刊行されたのと同じ頃。円城塔は「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞を受賞し、これは雑誌「文學界」2007年6月号に掲載された。人が落下するという妙な現象が起こる町を舞台に、その現象に向き合う男を描いた不思議な作品である。しかしその妙な世界を構築する手腕は非常に硬質で、こちらもやはり一貫した論理に基づいているように思えたのは理系の作者の特徴だろうか。
 同じ号に掲載された同賞の同時受賞作、「舞い落ちる村」(谷崎由依)も奇妙な時間の流れ方をする村を描いた奇妙な味の作品だが、こちらは軟質な土着性を感じさせ、「ベースボール」とは同じような方向性を持ちながら好対照の仕上がりだった。

 これが理系作家と文系作家の違いなのかと興味深く思ったが(谷崎由依京都大学大学院の文学研究科修了)、とりあえずこの2編が並んで掲載された「文學界」は興味深かった。賞の選考選考委員らの選評もみんな作品の評価に戸惑っているようで面白い。

 

 ともあれ「ベースボール」の方は文学的表現に力を移した寓話のような作品なので、文系の僕でも読みやすい。ちゃんとしたストーリーもあるので、円城作品の入門編に最適かも。

※まったくの余談。僕は個人的に映画や小説における「人の落下シーン」が好きで、最近は映画『アドレナリン』のラストなんか良かったんだけど、この小説の落下シーンはなかなか臨場感があって気に入っている。

 

4.解決。悪化。二日酔い。遅刻。以上
 その後も円城塔は難易度の高い小説を書き続けているが、それでもそこには科学と数学に埋もれた世界で生きる人間のいじらしさが描かれている。たぶん。
 Self-Reference ENGINE。機会じかけの無はやがてあなたの前から姿を消すだろう。起こりうることは起こりうる。この本を閉じた後も物語は語られていくはずだ。それはあなた自身の物語……。
 この世界をどう生きていくのかの物語だ。そして2人は幸せに暮らしました―そんな単純なハッピーエンドに向かっていく物語だ。

 

 2014年アメリカのフィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。これは日本人では円城塔の盟友である故・伊藤計劃に続き2人目の快挙である。っていうか英語圏の人にこの面白さが伝わるのか。翻訳者は相当苦労したのではなかろうか。

 2007年早川書房のハヤカワSFシリーズJコレクションから単行本刊行。2010年にハヤカワ文庫JAで文庫化。文庫化の際に新たに「Bobby-Socks」「Coming Soon」の2つの章が書き足されている。