[読書]ストロボライト
2011年に自殺した青山景が、太田出版から刊行されていた雑誌『CONTINUE』(当時隔月刊)に2007年4月~2009年6月まで連載していたマンガの単行本化。
一見、淡い恋愛が丹念に書かれた青春マンガだが、冒頭から何やら引っかかるものがあり、読み進めていくうちにそれは意外な展開を見せていく。
作家の浜崎正は夜行列車の中でノートパソコンを広げていた。書いているのは大学時代の記憶。
20歳の春、作家を目指していたあの頃、浜崎は花見の場で出会った女の子・町田ミカに心を奪われてしまう。実は彼女は新進監督が撮ったがあまり話題にならなかった映画『Q9(クエスチョン・ナイン)』に出演した女優「桐島すみれ」だったのだ。この映画の大ファンだった浜崎はすぐにその事に気づき、やがて2人は接近していく。
二人の間で微妙な存在感を持つのが、浜崎が住むアパートの大家の娘・実和子だ。実和子は二人と共に三角関係を形作るポジションにあるが、彼女の言動が実はこのマンガにおけるテーマを表現しているので注意深く読む必要がある。
というかこのマンガの核心は、中盤で実和子がつぶやく「過去完了形の予感」(p104)というセリフである。
ストーリーが進むにつれ、様々な物語が入れ子状に出現する。夜行列車に乗る「現在」の浜崎、彼が書く回想の中の浜崎、その中で語られる映画『Q9』の物語。
大学時代の物語が1999年頃らしいので、1979年生まれの作者は恐らく主人公を自己と重ね合わせていたのだろう(余談だが、僕は1980年生まれなので作者とほぼ同世代である。だからこのマンガに入り込めたのかも)。
メインは回想の物語だが、ミカが映画の中で演じた役・ユキが大学生の浜崎や作家の浜崎をも苦悩させていく。町田ミカ=桐島すみれ=ユキが重なりあうとき、浜崎はある事に気づくのだ。
入れ子構造の物語とは、メタ視点の物語である。誰かが誰かに書かれ、誰かが誰かに読まれている。恋愛マンガでこの手法を用いているのは珍しいと思う。
ちょっと話は逸れるけど、1994年に制作されたロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演のアメリカ映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』を観て、僕は少し違和感があったのを覚えている。
この映画は主人公がバス停でバスを待っている間に、偶然居合わせた人に自分の過去を語るという形で進行する。
いじめられっ子だった少年時代から、学生時代、軍隊時代の数奇な人生。
そして映画も終盤、何と主人公の回想は「現在」に追いつき、それ以降はバス停で語っている本人の物語になるのである。それまで三人称で語られていたストーリーが途中から一人称になる映画というのは他に観た事がない。違和感の正体はこれだった。
少し違うけど、『ストロボライト』はまさにこの違和感をテーマにしている。うーむ、説明し辛いけど、それは物語を語る事についての物語である。物語は人生そのもので、物語は誰かが語るからこそ存在する。つまり「私」の人生は誰かが語る物語なのではないか……。物語の主人公である事とは何なのかを描いている。
作家である主人公は、明滅する光(ストロボライト)のように記憶を断片的に思い出していく。彼は物語の結末を知っているからだ。しかし彼自身の物語はまだ終わってはいない。現在は過去に影響を及ぼしていく。
時間を切り刻む手法で有名なカート・ヴォネガットのSF小説『スローターハウス5』が作中でちらっと登場するのも示唆的ではある(p133)。
浜崎が乗っている夜行列車はどこへ向かっているのか。そもそもどこに存在しているのか。鍵となるのは浜崎の右手の甲と、実和子の左の首筋である。一度読み終えたらそこに注目して読み返してみると良い。作者が周到に考えて描いているのがわかると思う。
孤独が奇妙な形で支配する作品である。
以上のような事まで掘り下げていくと非常に興味深いが、理屈抜きで単純に恋愛マンガとして読んでもよく出来ているので、そうしても十分に楽しめる。悶々として甘酸っぱい浜崎とミカの恋の行方や、実和子の立ち回り、ライバルの出現、破滅の予感などツボはきっちり押さえており続きが気になってしょうがないと思う。作者が優しいタッチで描く女の子が可愛いので、キュンキュン具合もなかなかのものだ。表紙に描かれたミカの八重歯にグッときて買ってしまう人も多いと思う。
ちなみにこの表紙、カバーを外すと裏表紙と繋がっていて一枚の絵にっている。そこには浜崎とミカが描かれているが、吹き出しにはセリフが書かれていない。
二人は何を喋っているのだろう。その表情からはなかなか読みとれない。とても気になるが、作者がこの世を去ってしまった今となっては僕らに確かめる術はない。