ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]地上最後の刑事

 

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

 3月20日、火曜日。ニューハンプシャー州。ファストフード店のトイレで首吊り死体が発見された。死んだのは白人男性、38歳、保険会社勤めのピーター・ゼル。コンコード警察署犯罪捜査部成人犯罪課のヘンリー/パレスは刑事になってまだ3ヶ月半だが、既に首吊りは9件目だ。他の街では銃による自殺が流行っているが、コンコードは首吊りの街だ。多くの人が首吊りで死んでいる。

 何故か。それは今や地球上の誰もある宿命を背負っているからだ。
 約6ヶ月後の10月3日。運命のその日、直径6.5kmの小惑星2011GV1、通称「マイア」が地球に衝突する。

 半年後の破滅が確定した世界、街は自殺者で溢れている。だからゼルの死も自殺で決まりかと思われた。だがパレスは死体のある些細な点を不自然に感じ他殺を疑う。捜査を開始する新人刑事。街には厭世感が満ち、同僚の警察官らは無気力だ。
 死にゆく世界で犯罪捜査をする事にはどんな意味があるのだろう。自問しながら地上最後の刑事は真相に迫っていく。

 

 実力派作家ベン・H・ウィンタースの本邦初訳作は2012年にアメリカで刊行された異色の警察ミステリー“The Last policeman”。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀ペイパーバック賞受賞作だ。

 何と言っても舞台設定が秀逸。NASAのジェット推進研究所によって小惑星マイアが10月に衝突すると発表されたのがその年の1月。そして事件が起きるのが3月末。あと半年で世界は滅亡してしまうが、逆に言えばそれはまだ半年も先の事。世界はまだギリギリ秩序を維持しているが、麻薬の需要が増加しそろそろ無軌道な奴らが無茶をし始めている。

 アメリカはそれでも法と秩序を守ろうとしている。<暴力を抑制し、安定性を助長し、衝突までに残された時間における生産的経済活動を奨励するため>衝突準備安全確保安定法(IPSS)を制定したのだ。 

 犯罪が厳罰化された社会では、刑務所にぶち込まれることはそのままそこで世界の終りを迎えることになる。普通の人間にとってそれは何より避けたい事態だ。

 

 そんな絶妙のバランスで成り立っている社会。読み進めるにつれて、そうか、こんな世界だったらそうなるよな、というような描写がいろいろ登場する。

 本書解説でも述べられているが、終末を目前にした世界で警察らはやる気をなくしており、主人公が孤軍奮闘する姿にはノワール小説の雰囲気もある。

 ミステリーでこの舞台設定を採用したのは異色に思えるが、過去には天体衝突による終末を描いた作品が数多く発表されてきた。古いところで有名なのは児童向けでトーベ・ヤンソンの『ムーミン谷の彗星』なんかあったし、最近では伊坂幸太郎の『終末のフール』なんかが思い出されるが、どちらも何ともいえず独特な空気感なのが印象的な作品だ。

 

 一方本書の世界ではマクドナルドは株式市場の大混乱と共に倒産しており、電話会社は保守点検がおぼつかなくなり携帯電話の電波は不安定。この世界もSF的要素とハードボイルド的な要素が絡み合ってちょっと異様な感じだが、それでも主人公の行動原理は「最後まで刑事らしくありたい」というシンプルな熱意なので読んでて戸惑う事はないと思う。

 実は設定の奇抜さの割に警察モノのミステリーとしてはストーリーや展開は王道だったりする。若さ故、周囲からはどうでもいいと思われている案件を熱心に捜査する新人刑事。被害者の家族や友人、職場の人間に地道に聴き取り捜査していく中で浮かび上がるさらなる謎。
 主人公はパトロール警官として勤務後刑事に昇進したが、その4週間後には小惑星の衝突が確実になってしまった。そう、彼はただ刑事になるタイミングが悪かっただけなのだ。

 

 見事なのはそんなミステリーの王道展開に世界終末という現実離れした設定がうまく活かされている事だろう。これはこの世界でなければ起こり得なかった事件なのだ。 だからもちろんこの小説はSFではなくミステリーのレーベルから刊行されたのである。

 

<長期展望という概念が、魔法のように消え去った世界>(p271)
<もう、そういう状況なのだ>(p223)

 

 諦念が支配する、でもまだ完全に自暴自棄にはなっていない社会。主人公に世界を救う力はない。死んだ男の人生を辿り続けるだけだ。
 前述の解説を読む限り、作者はSFに関心を持っているらしく、本書でも作中に『ウォッチメン』(p151)や『エンダーのゲーム』(p153)が登場するところからもそれが伺える。
 小惑星の存在が確認されてから徐々に世界がパニックに陥っていくまでの様子も興味深い。とんでもない事が起きて世界が変化していく部分に作者の腕が表れていると思う。

 本書は3部作の1作目。ラストで事件の真相が明かされるが、人類がどうなるかは不明確なまま、ちょっと思わせぶりに終わる。第2作『カウントダウン・シティ』は衝突の3ヶ月前が舞台である。