ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]空港にて

 

空港にて (文春文庫)

空港にて (文春文庫)

 

 

 村上龍は2012年に出版した連作中編小説『55歳からのハローライフ』のあとがきで、短編の描き方について「スナップショットのように一瞬を切り取」ると書いている。
 なるほど、村上龍の短編集『空港にて』を読んでこの小説は確かにスナップショットのようだ、と思った。

 

 この本は8編の短編を収録している。収録作は「コンビニにて」「居酒屋にて」「公園にて」「カラオケルームにて」「披露宴会場にて」「クリスマス」「駅前にて」「空港にて」(収録順)。3編は留学情報誌「Wish」に、4編は小説誌「オール讀物」に、残りの1編は詳しいことは分からないのだが「グリーティングブックドットコム」というネットサービスにおいて初めて刊行されたらしい。
 これらはそれぞれに直接の繋がりはないものの、ある共通したテーマを含んでいる。日常によくある光景が舞台となっていること。海外への脱出を夢見る人が登場すること。

 元々留学情報誌に掲載されていたものもある訳だから、海外渡航というのがテーマとして登場するのは不自然ではない。でもなぜ海外への脱出なのか。作者あとがきではこの点に関して、自分の別の長編小説を引き合いに出して言及している。

 この短編集に収録された作品群が執筆されたのが2000年~2003年ごろにかけて。で、単行本が出版されたのは2003年(『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』のタイトルで出版された)。これらと時期的に重なる2000年、作者は『希望の国エクソダス』という長編小説を上梓している。

 『希望の国~』は閉塞した社会に絶望した中学生らがインターネットを駆使したネットワークを構築し、日本からの「脱出(エクソダス)」を目指すというストーリー。作中に登場する「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」という台詞は簡潔だが非常に印象深い台詞だった。

 交通網が発達し情報が世界を駆け巡る現代において、海外へ出ることはロマンチシズムではない。つまり、現代日本における海外への出発は「戦略的な逃避」=脱出なのだ、と村上龍は言う。
 元々グローバル志向の強い作家な気がするので、海外というのは単なる憧れ的な対象ではなく、そこに確固としてある目的地なのだろう。

 

 そしてこの短編群のもう1つの特徴は、作者自身が「時間を凝縮した手法」と語る独特の濃密な筆致だ。

 8編の、ありふれた場面を描いた短編。これらの作品に登場する主人公たちは本当に日常の何気ない一瞬を過ごしている。それは恐らく作中の時間経過で一時間も経たない、もしかしたら数分~数十分の間の本当に短い一瞬だ。この瞬間が経過する間に、主人公の周囲では様々な人間が交錯し、様々な言葉を語る。そこには本当に様々な心理が行き交っていて、村上龍はそれらを一つ一つ丹念に描き出していく。改行もなく周囲の光景と心象世界が描写されていく。

 まるで映画の1シーンをスローモーションで観ているような錯覚を起こす。歩く、食べる、喋る、そんな日常動作を非常に丁寧に書き込んでいるものだから、読んでいてまだるっこしいったらありゃしないのだけど、そこには膨大な情報が集約されていて、読んでいて不思議な緊張感を強いられるような気がした。

 そう、冒頭に挙げた通り、村上龍はスナップショットのように一瞬を切り取っているのだ。決して重大な局面ではない、劇的な場面ではない、それでも人生にとって大切な一瞬というのがあるのだ。

 

 個人的な話をすると僕は空港が好きだ。何故かというと、そこは通過する場所だからだ。全身の血液を集めてポンプのように送り出す心臓を連想してしまう。たくさんの人々がどこからかそこに集まってきて、だがそこに留まる事はなくどこかへと送り出されていく。人間の存在の儚さと空港という空間の圧倒的な存在感の対比が好きだ(同じ理由で駅や港も好きだ)。

 だからこの短編集の追尾を飾るのが表題作でもある「空港にて」であることに共感する。作者自身が「最高の短編を書いた」と言うだけありこの短編集の白眉である。空港、手垢のついた舞台かも知れないけど、そこを通過する人々に想いを馳せれば決して語りつくせない物語がある。

 本書に収められた短編群の主人公たちは、時間的にも空間的にも「その場」には留まらずそれぞれの目的地へ出発することが暗示される。その選択が正しいのかは誰にもわからないのだけど。

 

 一話ごとの長さはそれほど長くない。20~30ページといった程度だ。だから8編収録していても文庫版で183ページと薄い。しかしそこには凝縮された一瞬がある。
 登場する人物たちがやたら水商売に関わっていたりとちょいと村上龍色が濃いなあと感じる部分が無くもないんだけど、まあそういう意味でも村上龍らしい作品。

 

<空港の中にいる人に比べて椅子の数はとても少ない>(p162)