[読書]南極点のピアピア動画
不勉強で僕は知らなかったのだけど、「大学読書人大賞」という賞があるそうだ。出版文化産業振興財団により2008年に創設された賞で、全国の大学の文芸部員が大学生に読んでもらいたい本を選ぶものなのだそう。
過去に最終選考に残った本を見てみると、『塩の街』(有川浩)、『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦)、『天地明察』(冲方丁)と、実に僕好みの作品が多く見られる。そうか、三十路になっても僕の読書傾向は大学時代のノリから変化していないんだなあと痛感するが、ともあれ、海外作品からライトノベル、文芸作からノンフィクションとジャンルにとらわれないこの賞は非常にユニークだと思う。
で、2013年の第6回大賞を受賞したのがこの本、『南極点のピアピア動画』な訳である。ちなみに大賞を争った最終候補作には『屍者の帝国』(伊藤計劃・円城塔)や『いま集合的無意識を、』(神林長平)などが残っており、やっぱり僕好みなんである。
2か月前、クロムウェル・サドラー彗星が月に衝突、蓮見省一の宇宙への夢はその瞬間に潰えた。恋人の奈美も去り、失意の蓮見はボーカロイド・小隅レイにメッセージを託し、動画サイト「ピアピア動画」に想いを投稿するのだった。
「ピアピア動画」はピアツーピア(P2P)技術を使用した動画共有サービス。視聴者は投稿された動画にコメントを付けることができ、盛り上がる場面ではコメントが殺到し画面が見えなくなる「弾幕」と呼ばれる現象も発生する。運営しているのはピアンゴという、面白そうな事には全力で取り組む企業である。
……と、ここまで書けば、ピアピア動画のモデルが何なのかは明白。現実に存在する動画共有サービス「ニコニコ動画」(ニコ動)である。ここまであからさまに小説内で取り上げていいもんなのかと思うが、この本の解説はそのニコニコ動画を運営するニワンゴの親会社ドワンゴの会長・川上量生が書いているのでほぼ公認なのだろう。川上氏はこの本の作者・野尻抱介をもともと知っていたようなのだが、それはニコ動ユーザーとしての姿であり、「そもそも野尻さんがちゃんとしたSF作家だったというのは驚きだった」と述べている。SFファンとしては複雑な気持ち。とはいえ神林長平を尊敬しているという川上氏の解説は、ニコ動の現状に触れつつ人類の未来を示唆したもので、なかなか興味深いです。
ピアピア動画と並んで本書のもう一つの核となるのがボーカロイド「小隅レイ」だ。もう表紙イラストからも明らかな通りそのモデルは現実に存在するボーカロイド・初音ミクである(この表紙イラストは大丈夫なのかと心配になる)。
レイのネーミングは『レンズマン』シリーズの邦訳で知られるSF翻訳家の小隅黎(Cosmic Ray=宇宙線がペンネームの由来だそうだ)から来ているのかな。
本書は4編の短編から構成されている。「南極点のピアピア動画」「コンビニエンスなピアピア動画」「歌う潜水艦とピアピア動画」「星間文明とピアピア動画」の4編(収録順)だ。最後の1編以外は雑誌『S-Fマガジン』に掲載されたものである。
「南極点~」は彼女への未練を断ち切れない主人公が宇宙を目指す話だが、「コンビニエンス~」「歌う潜水艦~」と話のスケールがだんだんデカくなっていくのがミソ。いずれもピアピア動画と小隅レイがストーリーに大きな役割を果たすが、圧巻なのは書きおろしの「星間文明~」。もうタイトルでわかってしまうが、この話で人類はついに異星人の文明に接触する。その前の3編は独立した短編なのだが、これらの作品が緩やかに繋がって最終話の怒涛の展開に突き進む。
地球外文明とのファースト・コンタクトという人類史に残る事件を描きつつ、その筆致はあくまで「軽い」。それは作者の筆力不足という訳ではなく意図的なもので、重い事やシリアスな事を極力避けようとするネットユーザーの傾向を恐らく踏まえている。普通なら政府や宇宙機関が関わってくるような話だが、それらはほとんど表舞台に出る事なく、面白い事が大好きな登場人物たちのノリで宇宙人との接触を果たしてしまうのだ。
その過程で作者はボーカロイドファンが常日頃夢想している願望までちゃっかり実現して見せている。ネットユーザーたちが世界を変えてしまう、これはかつてないSF小説なのだ。
ボーカロイドといったキャラクターを「女」として見てしまうマニアたちの性癖も包み隠さず描く所が作者の力量である。ピアピア動画や小隅レイは仮想の存在だが、あくまで現実をベースに世界観は構築されていて、実在の人物である津田大介も登場。手の届く未来を描く。
僕はニコ動ユーザーではないし、ボーカロイドも詳しく知らない。それでも帯に書かれたキャッチコピー「ボーカロイドが導く、ネットと宇宙の清く正しい未来」にはずいぶん考えさせられた。