ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]美童物語

 

美童物語 (モーニング KC)

美童物語 (モーニング KC)

 

 

 「美童(みやらび)」とは沖縄の言葉で「娘」「子供」を意味するが、字面が示す通り、無垢な存在としての子供というニュアンスがある。そこに僕は大人の視点から見た純粋な生命に対する畏敬のようなものを感じる。
 僕は独身で子供はいないけど、もちろん子供たちは人類の未来だ。子供たちにとって幸せな世界を作るのが大人の使命だろうと思う。

 そんな事を考えていると思い出す事件がある。2011年1月8日にアメリカで発生したアリゾナ州銃乱射事件だ。民主党の下院議員が開催した政治集会で若い男が銃を乱射した惨事である。議員は頭に銃弾を受け深刻な怪我を負い、またその場にいた6人が死亡。その中には2001年9月11日に生まれ当時まだ9歳だった少女も含まれていた。

 あまりに痛ましい事件である。4日後の12日にはアリゾナ大学で犠牲者の追悼式典が開催された。オバマ大統領がスピーチで亡くなった少女の事に触れ涙を見せた事も大きな話題となった。

 僕もこの事件には怒りを覚えるし、犠牲になった人たちの家族の悲しみは考えただけでも胸が張り裂けそうだ。

 でも、例えば、アメリカがこれまで中東等で行ってきた空爆では多くの民間人が犠牲になってて、そこには女子供もたくさん含まれているのではないか。

 子供たちはいつの時代も大人たちの犠牲になってきた。僕らはこの事実を直視しなくてはいけないが、いま世界を動かしている人たちがそれを真剣に考えているかは疑問だ。

 

 比嘉慂(すすむ)は沖縄在住で、1989年のデビュー以来沖縄を舞台にした作品を描き続けている。そんな作者が描く『美童物語』は、戦時中の沖縄を舞台とし、大人たちの都合に翻弄される子供たちを描いたマンガだ。講談社の雑誌「モーニング」に不定期連載している。
 作者が淡々と描き出すのは子供の視点から見た世界の不条理さだ。沖縄に古来から伝わる習俗・因習を根底に描きながら、戦争という人類最大の愚行を鮮明に映し出している。


 連作短編集のような構成になっていて、基本的に話は一話ごとに独立している。登場人物はある程度共通していて、海里カマルという少女の一家が物語の中心的な役割を果たしている。

 洗骨という死者の骨を洗う儀式やジュリ(遊女)として遊郭に売られていく少女たちの姿、方言を使った者に「罰」として掛けられた方言札、ユタと呼ばれるシャーマンのような存在など、沖縄の文化が濃密に描き込まれている一方、戦争へ送り込まれる男たちの姿が対比的に映る。

 作者は間違いなく戦争というものの愚かさを訴えているが、直接的・声高に非難するのではなく、戦争が沖縄の豊かな文化や自然、そしてかけがえのない人々の生活を少しずつ破壊していく様子を丹念に描写していく。

 怒りを持っているが筆致は冷静なので、かえって読み手の感情に訴えかけてくる。

 

 どうして市井の人々の人生が犠牲にならなくてはならなかったのか。戦争が愚かな事だという事はみんな知っているのに、なぜなくならないのか。それはつまり単に人間が愚かなのだという事なのだろうか。

 このマンガには「普通の精神状態じゃない」状態になった人が度々登場するが、彼/彼女らの「目」を見れば人をここまで追いやる狂気の罪深さが理解できるだろう。
 そんな重いテーマを持ったこのマンガを掲載する講談社の雑誌『モーニング』編集者の英断も凄いと思う。大手出版社のマンガ雑誌が今どきの若者には絶対ウケないであろうこの作品を掲載するという事には大きな意味があると思う。きっと編集者もそこに込められたメッセージを発信することに意義を認めているのだろう。日本のマンガ界の懐の深さを感じる。

 

 現在、2008年に2巻が発売されたのが最後だが、作者はその後も作品を発表しているようだ。3巻以降の刊行も待たれる。2巻の時点ではまだ戦争は沖縄の地上戦には至っていないが、その影が確実に沖縄に歩み寄っている。今後もしそれが描かれるのであれば、それは見るのも辛い物語になるかも知れないが、我々は目を背ける訳にはいかないだろう。

 

 スクリーントーンをあまり使わず細部の模様まで丁寧に描かれた素朴な絵柄を見ると、作者の優しさと同時に執念のようなものを感じる。それはどうしても伝えたい事があるのだ、という意志だ。命の記憶を伝え続けたい、という意志。

 やりきれない運命に巻き込まれる子供たちの姿を見ると、僕は小松左京の「見捨てられた人々」という短編SFを思い起こす。こんな世界は嫌だ、世界中で起きている戦争をすぐにやめてくれ。そんな子供たちの訴えを一笑に付した大人たちに、子供らはある復讐を実行する。

 あまりに空しくなる結末。我々大人たちはもう一度しっかり考えなてはならない。僕たちの子供の世代が、今より少しでも良くなるために。
 涙を流して感傷的になっている暇はないのだ。