ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]紫色のクオリア

 

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

 

 

 紫色の瞳を持った中学生・毬井ゆかりには、他の生物がロボットに見えるという。

 そんな奇想天外な設定でこの作品は刊行時に大きな話題を集め、ライトノベルのみならずSF読者をもうならせた。

 

 人が見ている赤と自分が見ている赤が同じ赤かどうかは誰にも証明できない、という命題がある。たいていの人は普段からそんな事を気にして生活をしている訳ではないが、気にしだしたら止まらないテーマだ。

 この問題について考える上で重要な鍵となるのが「クオリア」という概念。クオリアとは「質感」のことで、赤いものを見た時に感じる「赤い」という感じ、青いものを見た時に感じる「青い」という感じのことだ。でも、一体、この「赤い」とか「青い」という質感は一体どこからどのように我々の感覚にのぼってくるのだろうか。

 この自然科学とも哲学ともつかない概念がこの小説でも扱われているが、物語は予想外な方向へ拡がっていく。

 ※ちょっと話は脱線するが、1972年に刊行された小松左京の児童向け小説『青い宇宙の冒険』はあの時代に既にクオリア的な概念について扱ってたように思えるのだけど、クオリアの話題の中であまり取り上げられていないのは不思議な気がする。

 

 他人がロボットに見えるゆかりは幼い頃からそれが原因で世の中に生きにくさを感じている。必死に自分の性質を隠して生きるゆかりだが、そんな彼女に理解者があらわれる。クラスメイトの波濤マナブだ。
 ゆかりの眼の事も含め親友として受け入れるマナブ。女同士の友情を育みながら過ごしていく日々。
 その中でゆかりの眼の詳細についても語られていく。陸上の得意な子はスピードの出る装備が装着されたロボットに見え、天気を当てるのが得意な子には高性能のレーダーがついているらしい。
 また人の絵は人の姿に見えるが、写真に写った人はやはりロボットに見えるという。
 そんな細かい部分も含めて、天真爛漫なマナブはあっけらかんとゆかりと付き合う毎日。しかしそんな日々をある惨劇が襲う。

 以下物語はどんどん予想できない方向へ突っ走っていく。この導入部からは想像もできないが、平行世界やフェルマーの原理万物理論などのファクターが次々と登場、やがてワイドスクリーン・バロック(時間と空間を自由自在に駆け巡るSFジャンル)的な壮大なスケールの展開を見せていくのである。
 量子力学などの最新科学を取り入れつつ、人と人の心の繋がりという哲学的な問題にまで足を踏み込み、ラストで読者はSFならではの感動を味わうのだ。

 

 誰かのために何かをすること。どうしても助けたい人のために必死になること。どうにもならないことをどうにかするための努力。信じられない事だが、本書の登場人物たちはそんな事をやってのけるのだ。

 実際のところ、中盤はあまりの絶望感に人の無力さを痛感させられるが、それでも彼女たちはあきらめない。無常感の中に絶対に希望を見失わない。まっすぐにある目的のために出来る限りの力を尽くす一生懸命さにはあ然とするしかない。

 

 豊富なアイデアを投入し、少ない頁数の中に濃密にまとめたスピード感は驚くべきもの。とかく長くなりがちな最近のラノベにおいては見事な手腕だ。所々に、これは都合がよすぎるんじゃないか?と思わせる場面もあり、科学考証に関しては若干甘い点もあるようだが、それでも意外な方法で無茶な事を実現させてしまうハッタリのテクニックというか、大風呂敷の広げ方は読んでいてワクワクさせるものだ。
 ライトノベルならではの主人公たちの直線的なひたむきさと、SFならではの思考実験・試行錯誤が融合した物語なのだ。一読の価値ありの傑作。

 

 人がロボットに見える、という設定を聞いて、マンガ好きならある作品を思い出すかも知れない。そう、手塚治虫の『火の鳥 復活編』である。そこで描かれた「人間とロボットの境界線とは?」という疑問はこの作品でも受け継がれており、それ以外にもアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』やグレッグ・イーガンの『万物理論』など様々な名作SFへのオマージュが散見される。恐らく作者はかなりのSF好きなのだろう。

 

 そんな訳で冒頭で書いたようにこの小説はSF界でも高く評価され、SFマガジン編集部編の『SFが読みたい!2010年版』(早川書房)では、ベストSF2009国内篇で10位にランクインしている。
 この年のベストSF国内篇は1位が伊藤計劃の『ハーモニー』、2位が長谷敏司の『あなたのための物語』で、その他にも『魚舟・獣舟』(4位/上田早夕合)、『アンブロークン・アロー 戦闘妖精・雪風』(5位/神林長平)など錚々たる作品がランクインする激戦だった。そんな中ライトノベルレーベルから刊行された作品が10位に食い込んだ事はインパクトが大きかった。

 しかも驚いたことのこの小説、イラストを担当した綱島志朗の手によってコミック化されている(電撃コミックス/全3巻)。原作を読んだ人ならあの内容をどうやってコミック化するんだ!?と興味をひかれるだろう。両者を読み比べてみるのも面白いかも知れない。