ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]妙なる技の乙女たち

 

妙なる技の乙女たち (ポプラ文庫)

妙なる技の乙女たち (ポプラ文庫)

 

 

 西暦2050年代。軌道エレベーターにより宇宙が身近になった時代。そんな時代でも、現場では市井の人々が汗を流して働いている。
 これは、宇宙につながった島で様々なトラブルに直面しながらも、前を向いて生きていく女性たちの物語。

 

 軌道エレベーターとは、地上から宇宙空間の静止衛星までのびる巨大なチューブ。可紡性カーボンナノチューブを編みあげて造られたそのチューブの中を、これまた巨大なエレベーターが昇降していく。これにより、ロケットの打ち上げのような大掛かりでコストのかかる手段を使わなくても誰もが簡単に宇宙に行けるようになった。
 シンガポール沖、赤道上の島「リンガ島」は世界初の軌道エレベーターが建設された島だ。これによりリゾート地だった島はやがて宇宙産業の一大中心地として発展していく。

 

 本書は、そんなリンガ島で働く様々な職種の女性を描いたオムニバス短編集。2006年~2007年にかけてポプラ社の小説誌「asta*」に連載された7編に文庫書下ろしの1編を加えた8編を収録する。
 宇宙服のデザイン、土地の販売業、軌道エレベーターの添乗員、巨大企業の事務職員……。当然だけどこの島には直接宇宙に関わるものだけでなく、間接的に関わる多様な仕事があって、たくさんの人が働いている。忙しく辛い事も多い毎日だが、でも、みんな胸に秘めて頑張っている。この小さな仕事の1つ1つが星空につながっていることを。

 

 軌道エレベーター自体は古くから宇宙工学において提唱されているアイデアで、アメリカのSF作家アーサー・C・クラークは小説『楽園の泉』においてこれを題材に選んでいる。かつては実際には建設困難なものとされていたが、近年、新素材の開発等により実現の可能性が高まってきているという。
 小川一水はこの軌道エレベーターが実現した世界を舞台に、新しいタイプのSF小説を書き上げた。それは軌道エレベーターという宇宙工学と産業のダイナミックな進化を描きつつ、その周辺に関わる人々の日常を照らし出す物語。そしてそれらの物語の主人公は屈強な男たちではなく、繊細に大胆に人生を切り開く女性たちだ。

 そう、このSF小説の秀逸な点は、地続きの未来における「お仕事小説」でもある点だろう。宇宙飛行士や科学者ではない。一見地味な仕事だけど、どんな仕事だってこの島で働く私たちの仕事は宇宙に続いている。そんな彼女たちの意気込みが伝わってくるようだ。

 

 そしてそれは僕のようないい歳したサラリーマンの感情をも刺激する。時代や場所は違えど、やはり仕事というのは楽しい事ばかりではない。誰だって自分が日々やっている事になんの意味があるのかと疑問をもつ瞬間があるに違いない。しかしそんな毎日もたどっていけばきっと大きな何かにつながっているのだ。
 そう、それはまるで天空に吸い込まれるように伸びる長い長い糸・軌道エレベーターのように。
 這いつくばり、ぶつかり合い、戸惑いながらも進んでいく。時には鬱屈し、時には思いがけない冒険に巻き込まれながらも少しずつ歩いていく。SFであり異色のワーキング・ガール小説でもある。未来の物語といえども、現代に生きる多くの働く女性たちにも勇気を与えるに違いない。
 また女性が主人公である以上避けて通れないテーマである<恋愛>や<結婚>に関してもしっかり書きこまれている。ここらへんも読みどころだ。

 

 収録されているのは「天上のデザイナー」「港のタクシー艇長(スキッパー)」「楽園の島、売ります」「セハット・デイケア保育日誌」「Lift me to the Moon」「あなたに捧げる、この腕を」「The Lifestyles Of Human-beings At Space」「宇宙でいちばん丈夫な糸」の8編(収録順)。

 水上タクシーや彫刻家、保育士など意外な職業も登場する。小川一水は宇宙産業の部分だけでなく、交通網や生活インフラ、法整備など細かい部分まで「リンガ島」を作り込んでいるので、職業も幅広く取り上げられている。
 だから正直、本格的な宇宙SFを期待した人は肩透かしかも。そういうのを期待した人は物足りなく感じるかも知れない。恐らく連載された雑誌の読者層という事情もあったのだろうが、SF濃度は薄めだ。しかし逆にSFに馴染みがない読者層にも読みやすいものになっている。
 しっかりした科学考証の上で作者は書いているので、興味をもったらこれをきっかけに他のSF作品に進むのもいいかも知れない。

 

 この本、単行本が2008年にポプラ社から刊行され、2011年に文庫版がポプラ文庫より刊行された。文庫版は大幅加筆・改稿が加えられ、文庫特別書下ろしである「宇宙でいちばん―」が収録されている。表紙イラストはカスヤナガト(『神様のカルテ』や『放課後はミステリーとともに』の人)。イイ感じです。

 

 仕事、キツイけど、こんな熱い気持になれるんだから、もうちょっと頑張ってみよう。
 働くことの喜び、胸に抱くささやかな夢。未来に生きる強くて美しい女性たちの物語。