ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]葬儀よ、永久につづけ

 

葬儀よ、永久につづけ (海外文学セレクション)

葬儀よ、永久につづけ (海外文学セレクション)

 

  

 ちょっと前、シリアの邦人人質事件に関連して、複数の小中学校で遺体画像を授業で子供たちに見せていた事がわかり問題になった。

 これに関しては処刑という残忍な殺害が行われており、確かに子供に見せるものではないと思う。ただそれは別として、今の世の中、人々の心理の深いところには、倫理的問題とは別に「遺体は見ては/見せてはいけないもの」という感情的な禁忌があるような気がする。凄惨さの有無は別として、現代の社会ではとにかく遺体を人目にさらしてはいけない事になっている。

 思えば僕自身、身内の葬式以外で人の遺体を見た事は殆どない。大きな事件や災害―例えば大規模なテロや震災―のニュースは数多くあるが、その報道で遺体が映し出されることはまずない。

 もちろん故人への尊厳や個人情報の問題もあるわけだが……考えてみると、僕らは人が死んだ時に公共の場では「死んだ」とは言わずに「亡くなった」と言う。でも、その人は「なくなった」のではない。その人生は確実にあった訳だし、人間なのだから「なくなる」というのはどうも不思議な表現ではある。

 2009年、滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』が、邦画で初めてアカデミー賞外国語映画賞を受賞し話題となった。納棺師という仕事を通じて死と向き合う人々を描いた作品で、外国の人たちには日本のお葬式の様子が異文化として興味深いのだろうと当時言われていた。しかし、死というものがこれだけ日常生活から遠ざけられているのだ。日本人にとってもあの映画の内容は非日常的で興味深かったのではないだろうか。

 

 死はすべての人が逃れられない、すべての人にとっての関心事なのに、日々の生活では語られる事の少ない奇妙なトピックだ。

 

 そんな訳で本書である。葬儀界を舞台に主人公の成長と挫折を描く葬儀小説。……うむ、さらっと書いたけど「葬儀小説」なんてジャンルは前代未聞だろう。
 主人公のアンディは天才的な遺体防腐処理(エンバーミング)の技術を見込まれ、葬儀界のスカウトマン・ウェイクフィールドにスカウトされる。契約を交わしたアンディは名門トマス・ホームズ葬儀大学に入学し、防腐処理チームの花形選手として活躍するのだが、やがて葬儀界にも変革の波が訪れ……。

 

 原題は、ロバート・レッドフォード主演で『ナチュラル』として映画化もされたバーナード・マラマッドの野球小説“The Natural”(角川文庫『汚れた白球 自然の大器』鈴木武樹訳と、ハヤカワ文庫NV『奇跡のルーキー』真野明裕訳の2種類の邦訳あり)のパロディで、題して“The Unnatural”。

 このタイトルが示すとおり、本書は基本的にスポーツ小説のパロディの形式をとっているが、葬儀ビジネスをユーモアと皮肉たっぷりに描いた語り口はなんともヘンな雰囲気を漂わせており、爽やかなんだかこってりしてるんだかなんだかよくわからないままかつてない読書体験を読み手にもたらす。


 巽孝之の書評集『想い出のブックカフェ』(研究社)によれば本書は、<マラマッドやキンセラの野球小説やスポ根ドラマのパロディという体裁を採りながらも、本書は最終的に高度資本主義ビジネス全般の本質へ切り込むという、驚くべき知的腕力を発揮>しているという。

 タイトルの元ネタになった「natural」は「天性」とか「才能」といった意味で、マラマッドの小説では野球の天賦の才能を持った男が主人公だったが、本作では遺体防腐処理の天才的才能を持った男が主人公。シーズン中の遺体防腐処理数の記録とか、本当にスポーツのように描かれるのだが、そこにグロテスクさや嫌悪感は感じない。扱っている題材がヘンなので異様な雰囲気に感じるが、登場人物たちはまっとうに行動し普通に思考するいたってイイ奴らばかりなので、スポ根ものとしては実際王道的な展開だったりする。

 作者は確信犯的に「死」をネタにしている。我々が目を背けている「死」を真っ向から取扱う事で、世の中のバカバカしさを浮彫にし、バカバカしい笑いを引き出している。こんな小説は確かに他に無い。

 

 一見、牧歌的な表紙イラストもよくよく見ると……ええっ!? というようなさり気ない小技も効いていて、実にインパクトのある本。

 死というテーマを軽やかに料理してみせた作者は、この本がデビュー長編なのだとか。その腕前に感心しつつ、この本と作者に現代文学の新たな可能性を感じる。死を扱っているがホラーでもミステリーでもサスペンスでもバイオレンスでもなく、そう「青春葬儀小説」としか言いようがない。とにかく読んでみないとこの感触はわからないだろう。すれた本読みにおススメ。

 1998年に単行本で刊行。以後15年以上経つが文庫化はされていない。こういう奇妙な味の小説はなかなか売れないと思うが、忘れ去られてしまうには何か惜しい。