[読書]怪しい日本語研究室
僕が劇場で初めて映画『マトリックス』を観た時に、まず目を見張ったのはオープニングタイトルのシーンだった。緑色で書かれた文字が上から下へと無数に流れていくのだが、その中に日本語のカタカナが混じっていたのだ。今でこそお馴染みのモチーフだけど、公開当時はずいぶん斬新で驚いた人は多かった。
ウワサによるとこれは監督が、日本のコンピュータはプログラムを縦書きで書いていると思っていたからだそうだ。すごい勘違いだなと思うけど、結果的にはそれが目新しい画面作りに役だった訳だ。
日本語は難しい。使いこなすのは日本人でも難しいと思う。話し言葉と書き言葉でも違うし、プライベートとビジネスの場でも違う。説明書、法律、論文、小説、新聞記事。それぞれ文体は全然違う。そんな言葉だから、日本語を自由に使いこなす外国人を見ると本当に尊敬してしまう。
この本は日本語をこよなく愛する「ヘンなガイジン」ことイアン・アーシーが新聞に連載したコラムをまとめたもの。日本語に関する楽しい話題が満載だ。
日本語についての蘊蓄本といえば平成元年にベストセラーになった江國滋の『日本語八ツ当り』(新潮文庫)なんかが有名で、その他にも多く刊行されている。
ただ「縦書きのプラグラム」の話でもわかるように、恐らく外国の人から見たら日本語は記号のようにしか見えないはず。だから「日本語に精通した外国人の目から見た日本語の不思議」が書かれている点でこの本はとても興味深い。
著者はカナダ人で、もともと日本の中学校で英語講師をしていたという。その後日本史等を研究し、「和文英訳」翻訳家となったらしい。
<「日本語のどこが好き?」って言われたら困るけど、できたばかりの恋人に、「ねー、わたしのどこが好き?」って耳元で囁かれるようなもんで、取りあえず「全部好きだよ」とごまかしたくなる。(中略)漠然と「美しい」と言えば美しい。しかし母国語の英語も捨てたもんじゃない。それに、いろんなことばを勉強しては忘れているが、中に醜いのは一つもない>(序文より)
この懐の広さ。巨視的に日本語を勉強している著者は笑わせながらもハッとするような鋭い指摘を挟み、僕らにこれまで見えなかった日本語像を見せてくれる。
例えば「魚」はもともと「うお」と読んでいたんだけど、酒席で「肴(=酒菜=さかな)」として出されることが多かったから「魚」自体を「さかな」と呼ぶようになったそうで、さらにそれと同じような例がギリシア語にもあると指摘する知識量に圧倒される。
あと野球用語の「新外国人」。僕も昔から変な言葉だと思っていたのだけど、外国人の著者にとってもやはり違和感があるようで本書中ではこれも俎上にのせている。曰く、既に他国でキャリアを積んで来ているのだからむしろ「中古外国人」ではないか、とのことで、なんか茶目っ気たっぷりだ。
他にも、英語の「タイクーン(tycoon)」は日本語の「大君」がもとになっているなんて恥ずかしながら知りませんでした。
2001年の省庁再編について触れている章は、一番のお気に入り。あの官庁名に関するゴタゴタ大変だったよなあ。
そんな著者は本書で社長の挨拶簡単作成ガイドをギャグで作ったりしているが、スマホとかでこういうアプリ本当にありそうだ。
また役所のあの独特の言葉を「整備文体」と名付けたりしているが、これも皮肉が効いている。
そう、標準的な日本語だけでなく、役所言葉や社長の挨拶文など様々な文体についてまで洞察を深めている研究姿勢が凄いのだ。政党の役職名やスローガンまで槍玉にあげて「怪しい日本語」を指摘していく。裏を返せば僕らはこれだけ変な日本語に普段から取り囲まれている訳で、それを奇異に感じないという事はすっかりその言葉に騙されてしまっている訳だ。
そういう目で今の政治なぞ眺めてみたらいろいろ面白いよね。某総理や某市長の言葉のレトリックとかはこの人にはどう見えてるんだろう。
他にも『忌み言葉「平和」』の章は素朴な疑問の中に日本の現状を深く考えさせられる一編。
彼は、日本語は美しい、日本語は素晴らしいなんて単純に褒めたりはしない。どんな言葉でも、
<言語はそれなりに、きっとおなじぐらい美しく、魔力に満ちたものだろう>(序文)
と冷静だ。そんなスタンスだから、日本語を過剰に美化したりしない。でもその愛は一貫している。
前出の『日本語八ツ当り』も変な日本語をつつきあげるエッセイだったが、あちらが年寄りの小言めいた感じ(まあでも面白い)なのに対し、こちらはあくまで外国人の立場にありながらユーモアに溢れている。
僕たちが普段使っている言葉なんだから、知ったつもりにならないでもっと勉強した方がいいな、と思った。もっともっと調べてみたら意外な事実がいろいろ出てくるに違いない。
大笑いしながら読めて、目からウロコが落ちる本。