[読書]どろんころんど
福音館書店が2009年から刊行している「ボクラノSF」シリーズは、一冊ごとに装丁まで変えるこだわりのシリーズだ。“多感な十代の読者にぜひ出会ってほしい作品群”というだけあって、そのラインナップはジョン・ウィンダムや筒井康隆、フレドリック・ブラウンに小松左京と、洋の東西を問わず文句ナシの名作ばかりだ。
SFファンなら確かに買いな作品ばかりなのだが、多感な十代の少年少女の琴線にはなかなかストライクといかないのか、売上げは少々苦戦している様子。巻末の宣伝のページには正直なことに「そこそこ好評ですが、もうあと一押し!!」というプチ必死なコピーも。
そんな「ボクラノSF」シリーズ初の書下ろしで、第一期の末尾を飾る作品として2010年に刊行されたのが北野勇作の『どろんころんど』である。
アンドロイドの少女アリスが目覚めるとそこは一面泥の世界で、周囲に人間は一人も見当たらなかった。
アリスは思い出す。彼女の仕事は亀型子守りロボット・万年一号を人々に紹介すること。そう、お客さんの前で新車の説明をするコンパニオンのように、万年一号の性能をお客さんに紹介するのだ。
ヒトがいなければそれもできない。アリスは仕事をまっとうするために、万年一号を引き連れてヒトを探す旅に出る。ヒトデナシと呼ばれる泥の人形たちと途中で出会いながら、旅を続けるアリス。果たしてヒトを見つけ出すことはできるのか。そして仕事をこなすことはできるのか。
2001年に『かめくん』で日本SF大賞を受賞した北野勇作は、一貫したテーマを追求し続けるSF作家である。私達の見ている世界は本当に存在するのか?本物と偽物の違いとは何か?現実が崩壊していくような感覚を読者に突き付けながら、その作風には何故か胸を締め付けるような哀しさが満ちている。それは私達が大切にしている何かでさえ、いつかは失われてしまう事を認識させられてしまうからだ。
北野作品で少年少女向けのジュブナイル作品というのは珍しいが、しかし子供向けといえど北野勇作は決して手加減しない。というか、いつもの北野作品とほとんど同じ調子である。だけど、北野読者は気づくはずだ。何かが違うな。ちょっとだけ違うな、と。
北野勇作の小説は、作者に子供が生まれてから確実に作品に変化が表れているようだ。虚無に満ちた……というと矛盾しているようだが、そうとしか言いようのない作品世界が初期の特徴だったが、そこに何か「核」のようなものが出現したというか……。うまく説明できないが、ちょっとずつなんとなく変化しているようなのだ。
北野自身、福音館書店のホームページに寄せたエッセイで自分の子供の事に触れ、<以前なら、子供を主人公に、などと考えもしなかった私が、いつのまにか子供の目でまわりを見たり、子供に感情移入していろんなことを考えたりするようになっている>と述べている。
そしてこの小説ではさらに今までの作品との大きな相違がみられる。それは各種媒体に発表された書評やレビューで既に指摘されている通り、主人公アリスが「明確な目的をもって旅をしている」点である。
これまでの北野作品といえば目的地がどこなのかもわからないままさ迷うような、不安定さというか足元さえ確かではない感じが大きな特徴だったのだが、今回はヒトのいなくなった世界でヒトを探すというはっきりした目標をもって主人公は行動している。この変化に北野読者は戸惑いを感じるかも知れない。
奇妙な旅の終りに待ち受けるものを見据えてアリスが踏み出す一歩は、北野作品の新たな一歩なのか。
亀やニセモノのヒト、会社など、お馴染みのモチーフを扱いながらも新たな側面を見せた作者の幅の拡がりに、不安と期待を感じずにいられない。
さらに本書でもう一点注目すべきはイラストである。もともとイラストレーターの大胆な起用も売りの一つである「ボクラノSF」シリーズだが、『どろんころんど』では鈴木志保というマンガ家を起用し、作品世界に視覚的な解釈を与えている。というか、もはや彼女のイラストと共に『どろんころんど』という作品は構築されていると言っても過言ではないだろう。
北野作品のイラストといえば西島大介や森川弘子(北野勇作の妻)などがお馴染みだが、今回は鈴木志保の登場により一層大きな化学反応が起きた。本文とイラストが絡み合うような独特なレイアウトの中、アリスたちの旅路は少年少女の胸に忘れられない印象を残すに違いないが、その輪郭はぼんやりしている。まさに小説とイラストのコラボレーションだ。
果たしてこの本は「ボクラノSF」シリーズの救世主となり得たのか。詳しくはわからないが、何と著者初の増刷という驚きの知らせも耳に入って来た。一応売れているようなのだ。
<でもまあ、世界がどろんこになっちゃったことにくらべれば、こんなのはささいなことなのかもね>(p101)
ちなみに「ボクラノSF」シリーズはこの1月から第二期の刊行が始まるようである。