ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]ドクター・ブラッドマネー 博士の血の贖い

 

  

 東日本大震災は未曾有の被害を日本にもたらしたが、それに伴う福島第一原発事故は国際原子力事象評価尺度においてレベル7という最悪の放射能事故だった。一応建前的にはこの事故は収束した事になっているらしいが、正直解決からは程遠いように思える。僕は恐らく福島の原発事故の影響から国内でもっとも遠い場所である沖縄に暮らしているのでちょっと引いて見てるけど、世の中ハロウィンだクリスマスだと浮かれて、咋年12月の衆議院選挙では原発事故なんて争点にもならなかった。みんな何も疑問を持たずに毎日を生きているけど、冷静に見たらとても滑稽で奇妙な事なのかも知れない。
 だから、この小説を荒唐無稽と思えないのだ。

 

 フィリップ・K・ディックが1963年に執筆し1965年に刊行された長編SF小説“Dr.Bloodmoney”(もともとは“or,How We Got Along After the Bomb”という副題がついていた)。本書はその邦訳版である。

 核戦争後の世界。社会は崩壊し、人々は各地で小さなコミュニティを形成、先端の科学技術が失われた世界で最低限の文化的な生活を営んでいる。放射線の影響か、突然変異によって超能力を身につけたフリークスが誕生したりしているが、人々はとりあえず平常を生きているようだ。
 ポスト・ホロコーストという異常な状況だが、人々の生活は淡々としている。異常な状況下で異常な事態に遭遇するケースが多いディックにとっては異色作だ。
 工業は衰退し食料の供給はおぼつかず、人々はネズミさえも食料とし始めている。タバコも工場での生産がストップしており、個人が作るタバコが高級品として扱われていたりする。
 なんかちょっと終戦直後の日本社会に似ていなくもない。実はそこで気になる記述があったりする。核攻撃が始まった頃の描写。
<今はまだ逃げ出すときじゃない。[中略]しばらくは地上に出ないほうがいい、放射能があるから。それこそ昔日本人ども(ジャップ)が犯したミスだ。彼らはすぐ地上に出て安堵してしまった>(p97)
 第二次世界大戦における日本をディックがどのように捉えていたのかはわからないが、こういうイメージが作品の根底にあったのかも知れない。というか今となっては、原発問題が全然収束していないのに既に安堵している現代の日本社会に対する皮肉のようにも読める。

 解説で渡辺英樹が書いているように、ディックの他の作品でも核戦争が物語の背景として描かれる事はあった。でもそれらはあくまで舞台装置、ストーリー上の道具としての登場だった。今回は「核戦争後の人々の日常生活」という背景として登場し、かつてなく真正面から扱った点でも異色である。

 

 この作品世界では、人々の希望になっている人物が一人登場する。それは宇宙飛行士ウォルト・デンジャーフィールド。彼はかつて火星に向けて飛び立ったが、直後に核戦争が勃発。地球を周回する軌道に留まって生き残った人々に向けてラジオ放送を続けているのだ。娯楽の少ない世界で彼のお喋りや小説朗読、音楽放送が人々の心を癒している。集会所で地域の住民が集まり、一台のラジオの放送に耳を傾ける様は、これまた高度経済成長期に街頭テレビで力道山の試合に熱狂していた日本人の姿とも重なるような。

 ちなみにこの小説、1987年にサンリオSF文庫から一度邦訳出版されている(『ブラッドマネー博士 または、原爆(ピカ)のあと私たちはいかにして生きのびたか』阿部重夫・阿部啓子訳)。僕はこのバージョンを読んだ事は無いのだけど、翻訳者・評論家の大森望によるとこの版では、デンジャーフィールドが放送中止の事態に陥った時にリスナーに向けて語った言葉が日本敗戦の日の玉音放送を下敷きにかなり大胆に「超訳」されていたらしい(『特盛!SF翻訳講座』p97、研究社)。
 そんな訳で唯一の被爆国であり今世紀最大の原発事故をやらかした今日の日本においてこの小説を紐解くといろいろ深読みしてしまうんである。

 

 後半、少し派手な展開もあるが、基本的には異常な世界での日常を描く群像劇である。多くのキャラクターが登場し明確に主人公らしい主人公はいないが、ある種SFというより普通小説の雰囲気が漂っている。まあだからこそ読んでいて退屈な部分も多かったりするのだが、冷戦の影響下でディックが克明に核戦争の影響を描いた物語はとても興味深い。


 ピンとくる人にはくると思うが、このタイトルはスタンリー・キューブリック監督の1964年の映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(Dr.Strangelove,or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)を基にしたものだ。解説によれば、当初‟In Earth's Diurnal Course(日ごとにめぐる大地の中で)”もしくは“A Terran Odyssey(地上の冒険行)”というタイトルがついていたとか。編集者はずいぶん安っぽい題名に変えてしまったもんだなあと思うが、正直現在のタイトルの方が個人的には好みだったりする。
 1966年のネビュラ賞候補作。ちなみにこの年の受賞作はフランク・ハーバートの『デューン砂の惑星』だった。