[読書]私の本気をあなたは馬鹿というかもね
私の本気をあなたは馬鹿というかもね (メディアワークス文庫)
- 作者: 牧野修
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/04/25
- メディア: 文庫
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1970年代。大阪ならぬ逢坂府。水の町・竜頭町にその退役婦人養生院はあった。
まだ戦争の記憶も生々しい時代。政治・経済ともに大きなうねりの中にある日々。3人の少女アカネ、アリー、ワシオは大人たちの都合に翻弄されながらもまっすぐに自分たちの道を歩いていく。
「大正34年」(1945年)に戦争が終わり、この国はアメリカの占領軍に統治され、米国領日本列島自治区と呼ばれている。旧来の日本文化は否定され、基本、公用語は英語だ。名前も漢字ではなくカタカナで表記する。
そんな我々の世界とは少し違う歴史を歩んだもう一つの世界。本書は、そんな世界で純粋に真っ直ぐな心を持った少女たちがたくましく生き抜く姿を描く。僕たちの知る70年代と対比しながら読み進めるのも面白い。
退役婦人養生院は太平洋戦争で兵役につき、心身に傷を負った婦人兵たちのために作られた公的施設である。
明るく元気いっぱいのアカネは17歳。幼い頃に両親を亡くし、今は叔父の家で暮らしている。叔父のマツタロウは古武術・水鎚流を継承する男だ。
アカネは養生院に勤めながら、院内の婦人たちと天真爛漫な日々を送っていた。しかしそんなアカネの周囲にも不穏な動きが迫りくる。この時代、古武術は軍国主義的と批判され、道場は次々と閉鎖に追いやられていたのだ。
養生院のオーナーであり親米保守派の市議会議員のオオワダは地位と権力を利用してマツタロウの道場を消し去ろうとするのだが。
基本的には年頃の女の子を主人公としたストレートな青春小説である。明るく元気なアカネは主人公のテンプレだし、アリーやワシオもそれぞれ傷を抱えているが紆余曲折を経てそれを乗り越え、やがて意気投合し堅い友情で結ばれていく、という定型だ。普通なら女子高生として人生の一番楽しい時期を謳歌しているはずの彼女たちが様々な大人の悪意に晒されながらも健気に強く戦うストーリーは最後まで手堅く爽快な読後感を残す。僕は詳しくないが、いわゆる「百合」的なものが好きな人はそういう見方でも楽しめるのではないか。
しかし一筋縄ではいかない小説を多数書いてきた牧野修である。レーベルに合わせてかライトノベル風に爽やかな青春小説を描き出してはいるが、その背景に「米国統治下の日本」という舞台を持ってきたのが絶妙に上手い。
新たな日本に向けて古来の風習を否定する親米派。米国からの独立を目指す国土回復運動。
極端な思想に走り、伝統文化を廃絶しようとする愚かさ。祖国を取り戻すために過激な行動に走りつつも、その思想には確固たるものがないという薄っぺらさ。
さりげなく現代の我々を取り巻く状況を批判的に織り込んで、不穏な世界観を作り出した作者の手腕に舌を巻く。ラノベだからって油断して読むと、実はこれが我々自身を戯画化したものだとふと気付かされて背筋に冷たいものが走る。
だから物語の終盤、直球のハッピーエンドに向かいつつも、直前で癖のある回転がかかっている事に気付かされるのだ。
いや本当に、朝の連続テレビ小説でドラマ化してもいいくらいよくできた物語だと思います。まあそれは絶対無理だろうから、深夜アニメあたりで映像化してくれないかな。作中の幸せな食事シーンなんかは読んでるこっちも幸福感でいっぱいになったし、お腹が空きました。
米軍統治を経験した沖縄に暮らす僕としては、いろいろ思うことがあるのだけど、ひとまずこんな汚い世界でたくましく生きる主人公たちの姿に胸を打たれました。
そして何よりタイトルが上手い。最後の「かもね」には「あなたはそう思うだろうけど私は正しい思っている」という確固たる意志が込めれられている。
馬鹿。この小説ではこの言葉が頻繁に登場する。自分の価値観を愚直に信じる姿に馬鹿の言葉が(冗談半分にではあるが)浴びせられたりする。そんな場面を読んでると自分自身の事も考えさせられる。世の中にはお利口多いしね。
実はこの小説には前篇というか前日譚にあたる作品がある。『大正二十九年の乙女たち』は、本書にも登場するキャラが活躍する作品。それぞれ独立した話だが、併せて読むとさらに作品世界が味わい深いものになるかも。
<歳を重ねればどうせ馬鹿ではいられへんでしょ。愚かであることも思春期の特権やからねえ>(本書p409)
若干冗長な割に書き込み不足な部分もあり、ドタバタと駆け足になる場面もあるのだが、それでもリーダビリティは高いので読みにくさは無いと思う。
少女たちの愚直さ、尊さを大人の醜悪さと対比させて描いているが、最後の最後で単純な二項対立を回避している。だから誰の心にも突き刺さるのだ。
読み終えた後、僕には付け髭を付けて笑い合っている主人公らの姿が目に浮かぶようだった。