ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]夏の魔法

 

夏の魔法 (ミステリ・フロンティア)

夏の魔法 (ミステリ・フロンティア)

 

 

 藤子・F・不二雄の短編マンガに「未来ドロボウ」という作品がある。
 ある少年と記憶を入れ替えた老人。彼は少年の身体で人生を謳歌し、こう語る。「若いということは想像以上にすばらしい、すばらしすぎるんだ!! 世界中の富をもってきてもつりあわないだろう」
 老いるという事が人にとってどんな意味を持つのか。考えさせられる一編だ。
 その他にも、肉体と精神の年齢のズレを取り入れて話題になった作品といえば、最近では2004年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』や、2008年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット主演の映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』等があった。
 人間にとってやはり「老い」は重要な関心事なのだ。

 

 早坂夏希は外見は老婆だが、実はまだ22歳の若い女性である。彼女は高校入学前に遺伝性早老症「ケルトナー症候群」とそれに伴うガンを発症しており、その若さにして老いた肉体に閉じ込められ、また死を目前にしている。
 彼女はこれが人生最後の夏になる予感を胸に、かつて13歳の夏休みに訪れた思い出の島である風島を訪れる。ここで良き記憶に浸りながら静かに最期の日々を過ごすつもりだった彼女の前に、しかし心をかき乱す人物が現れる。
 それは13歳当時、ほのかな恋心を胸に島の夏を一緒に過ごした同級生の男・潮崎洋人だった。精悍な青年に成長した彼に動揺する夏希。しかし彼は彼女のあまりの変わりように彼女だと気づかない。
 そして彼の隣にはいつも美しい女性・沙耶がいた。
 自然に溢れた島の忘れられない夏は過ぎゆく。諦念、羨望、渇望、嫉妬、衝動、罪。夏の魔法が人々を狂わせる。運命の残酷さに胸が張り裂ける青春ミステリ。

 

 若くして老婆として余生を生きる主人公。肉体は老人だが、精神は22歳の女性なのだ。心と体がどうしても噛み合わない。もう人生を諦めて一人で死んでいこうと決意しているのに、やはりその本来の若さのせいかいまひとつ思いきれない。ましてや十代の頃に恋した男性が目の前にいれば。

 

 前半から終盤にかけては夏希の葛藤が描かれる。忘れたはずの洋人への想いが再び湧きあがる。自分の事を隠しながら彼と接する日々。それは至福なのか地獄なのか。そして2人だけの想い出に侵入してくる若く美しい女性・沙耶。

 奇妙な三角関係を描いた青春小説とも読める。
 それが急展開するのは終盤以降である。
 終盤、夏希がある決心をしてからストーリーは驚くべき展開を見せる。それは何だか唐突にも思えて、それまでの物語に浸っていた読者は面食らうかも知れない。しかしそれまでの流れを見ていると、それは確かに必然的な展開であったりする。
 眩しい夏の風景の描写の中に、鬱々と蓄積していく夏希の仄暗い澱。それが表層に出現していくのがこの終盤の展開なのだろう。

 

 だから、読後振り返ってみると物語は全体を通して異様な緊迫感を持っている。肉体と精神のギャップに押しつぶされそうな主人公の叫びが、押し殺されて根底に流れ続けているからだ。
 ラスト、あまりに哀しい運命に読者は言葉を失うだろう。どうしてこうならなければならなかったのか。何がいけなかったのか。誰が悪かったのか。何のせいでも誰のせいでもない。宿命を呪うしかないのだ。
 まばゆい太陽の光に満ちた島の夏が舞台だ。本来なら目を細めたくなるような眩しさがあるはずなのに、この物語は常に暗い影に覆われているように思える。
 老いというものはこれ程までに人に重くのしかかるものなのだ。

 

 誰もが避けられない老い。それが人より早く訪れてしまったが故に人生の歯車が狂っていく主人公。不本意に人生を加速しなくてはならなかった過酷さが罪を犯させる。
 爽やかな物語であって然るべきなのにそのような爽やかさは無い。そこにあるのはやりきれない哀しさだけだ。

 

 作者は2003年に近未来探偵小説『ルドルフ・カイヨワの憂鬱』で第5回日本SF新人賞佳作入選。本作はこれに続く第2作目で、『ルドルフ―』とは打って変わって切なく哀しいミステリーである。Amazon.co.jpの「Best Books of 2006 エディタース・ピック:文芸」では海堂尊荻原浩本谷有希子三浦しをんらと共にベスト20に選ばれている。

 

 本作の版元である東京創元社のサイトには作者の言葉が掲載されている(「ここだけのあとがき」)。それによると、多少は一般ウケを狙って「夏、恋、南の島」というイメージを取り入れたものの、<とても重くて痛い作品になってしまいました>とのこと。そしてこの作品は<恋愛小説です。そして〈罪〉の物語です>とも記している。

 美しい南の島で繰り広げられる残酷な物語に、僕らは言葉を失うしかない。

 

 東京創元社のサイトによると単行本は現在品切れの模様。文庫化はされないのかな。