ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]ぼくのメジャースプーン

 

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

 

  

 僕は自炊やお菓子作りといった物事にまったくもって縁がないため、恥ずかしながら「メジャースプーン」というものが何なのか知らなかった。
 だから『ぼくのメジャースプーン』を読んだのを機にこの言葉を調べた時には結構驚いた。メジャースプーンとはつまり「計量スプーン」の事だったのだな。ああ、それなら一応知っている。調味料の量を測る時に使ったりする「大さじ」や「小さじ」のことだ。メジャーというのは巻き尺のメジャーと同じメジャー(measure)だったんだ。
 無知な僕は大リーグのメジャー(major)と同じだと勘違いしていたため、最初は「でかいスプーン」の事だと思っていた。知っている人から見たら、そんな事も知らない僕はひどく無知に見えるのだろうな。

 

<せんせい、人間は身勝手で、絶対に、誰か他人のために泣いたりできないんだって本当ですか>

 

 小学4年生のぼくは、ある不思議な力を持っている。しかしそれは恐ろしい力なので使ってはいけないとお母さんに強く言い聞かせられている。
 しかしある日、ぼくの大好きなふみちゃんを理不尽で凶悪な暴力が襲った時、ぼくはこの力を使って犯人に復讐する事を画策し始め、そんなぼくを見て心配したお母さんはぼくをある「先生」の元へ連れて行く。
 そしてぼくと先生は、一週間に渡り対話を重ねることになる。正義とは何か、復讐とは何か、罪とは何か、罰とはなにか。議論の果てにぼくが見つけた答えとは。

 

 倫理学や法律論の世界でも結論の出ない大きな問いを、小学4年生の主人公が背負う過酷な物語。そこに描かれるのは人間の闇の部分と立ち向かう恐ろしさと勇気だ。
 ストーリーの大半は「ぼく」と「先生」の対話シーンによって描かれる。「力」を使えばきっと容易に犯人に罰を与える事が出来る。しかしそうすることに何の意味があるのだろうか。そもそも犯人にはどんな罰がふさわしいのか。そしてそんな判断する事がいったい人間にできるのか。
 そうだ。メジャースプーンとは人が心の中に持つ尺度のことなのだ。罪を量る立場に人が立った時、どうやって何を判断すればいいのだろうか。それは調味料の適当な量を決めるように簡単にはできないし、失敗してしまったらやり直すことはできない。恐ろしい立場であるが、そこに立つことはどうしようもない魅惑のようでもある

 

 作者は丁寧な筆致で主人公が置かれた理不尽な状況を描写していく。個々のエピソードを積み重ねていくことで、主人公たちが暮らす子供社会を立ちあがらせる。 

 感覚が擦り切れた大人には疑問に感じる事すらできないような事も、子供の目で見るとひどく奇妙な事のように見える。なぜ、人を不幸にして喜ぶ人がいるの?子供からのそんな問いに、我々大人はどう答えるべきなのか。復讐は正義なのか?明確な答えを持っている大人がどれだけいるだろうか。

 

<自分のために怒り狂って、誰かが大声を上げて泣いてくれる。必死になって間違ったことをしてくれる誰かがいることを知って欲しい>

 

 お互いがお互いの事をわかり合える世界。当り前で簡単なようだけど、ひどく難しいこと。メジャースプーンにほとんど触ったこともない僕は、料理やお菓子作りの大変さを知らない。こんな些細なレベルでさえ、他人の気持を知る事は難しい。
 作者はインタビューにおいて<悪はいつまでたってもどうしようもない悪のまま>だろうと語っている。作者は僕と同じ年に生まれたまだ若い女性だが(1980年生まれ)、醒めた目で人間の本質を見つめている。そして、それでもしかし絶望には着地したくないという。そこに作者自身が藤子・F・不二雄の影響を認めている事に少し驚きを感じたが、よく考えてみると納得いく気もする。
 少年たちの微妙な心の動きを、彼らに寄り添って彼らの視点で描き続けた点はきっと共通しているからだ。

 

 もしも人を裁く力を持ったら、我々は何を考えるだろうか。人のために一生懸命になれるだろうか。人のために泣くことはできるのか。
 物語が進むにつれて周到に張られた伏線が意味を持っていく。ミステリー的な仕掛けも施されている。単純な謎解きものとは一線を画しているが、人間の心の奥深くという大きな謎を扱っているともある意味いえるのかも知れない。

 痛切な心の軋みが圧倒的に胸に迫るミステリー。刺々しくてなお繊細なストーリーが人の弱さを浮き彫りにする。

 

<そうやって、『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです>

 

 2006年講談社ノベルスより刊行、2009年講談社文庫で文庫化。2007年に第60回日本推理作家協会賞長編及び連作短編部門にノミネートされている。