ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]火星の人

 

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

火星の人 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 1995年に公開された映画『アポロ13』は、月探査船アポロ13号の実際の事故を描いたものだ。この映画の中で僕が一番好きなシーンは、トラブルにより船内の二酸化炭素濃度が上昇したアポロ13号を救うために地上の職員らが集まるシーン。そこで先頭に立った男は雑多なツールを机上に放り出し、皆にこんな事を言う。「船内にはこれだけの道具がある。これらを使ってこの規格の違う2つのフィルターを接続する方法を考えるんだ」。

 世界最先端の宇宙船も規格の違いという単純な障害でピンチに陥るんだなあ、そしてそれらを解決するのは現場の人間の試行錯誤なんだなあと妙に感心した憶えがある。

 

 それはさておき本書。

 無料で公開されていたオンライン小説が話題を呼び2012年に電子書籍として自費出版。これが評判になり2014年7月には大手出版社から書籍版として刊行。さらに同年8月に日本で邦訳出版されるやSFファンをうならせ、早川書房の年刊SFガイドブック『SFが読みたい! 2015年版』では「ベストSF2014[海外篇]」の第1位に選ばれた。

 驚異のデビュー作。これは、火星に1人取り残された男がサバイバルを繰り広げるハードSFだ。

 

 3回目の火星探査ミッション「アレス3」は、探査開始数日にして猛烈な砂嵐に襲われてしまう。あまりの危険にNASAはミッションの中止を決定するが、脱出の際、6人のクルーのうちの1人マーク・ワトニーの身体にアンテナが突き刺さってしまう。死亡したと判断されたマークは火星に取り残されてしまうが、実は彼は生きていた。

 こうしてたった1人地球から最も遠い所に取り残された男は、科学知識だけを武器に荒涼たる惑星で生き延びる道を模索する事になるのだった。

 幸い空気と水はある程度あるが、食糧はあまりない。仮に地球目指して脱出したアレス3のクルーと連絡がとれたとしても宇宙船は自動車のように簡単にUターンする事はできないから引き返すことはできない。またもし地球に連絡がとれたとしても、すぐ救助の宇宙船を打ち上げたって火星までは1年以上かかる。

 生き延びるにはどうすればいいか。通信を回復するにはどうすればいいか。マークの孤独な闘いが始まる。

 

 地球外の天体に取り残された宇宙飛行士のサバイバルというテーマはこれまでにも数多く取り上げられていて、代表的な所ではジョン・W・キャンベルJrによって1950年に発表された『月は地獄だ!』がある。こちらは帰還ロケットの事故により月に取り残された調査隊員たちが2年にわたり生き延びる様を描いている。
 これら先達の作品と本書の最も大きな違いはそのユーモア感覚にあると思う。これまでこういうテーマの作品は概ねシリアスな雰囲気で書かれてきた。そりゃ生き死にの狭間を描いているんだからシリアスにもなると思うが、本書の主人公マークは簡単に絶望したりしない。弱音も吐かない。どんな深刻な状況でも持ち前のギャグ精神で軽妙に乗り切っていくのだ。
 このノリが本書の最大の特徴で、常にジョークを忘れず豊富な科学知識で次々と襲いかかるピンチを切り抜けていく様はまさにアメリカンなヒーローといったところか。

 

<ブラケットの強度を見るために、岩で殴ってみた。ぼくら惑星間科学者は、こういった洗練された手法をよく使う>(p374)

 

 主人公はメカニカルエンジニア兼植物学者。様々な機器を改造して生きるのに必要なものを造りだしていく一方で、植物学の知識を動員してジャガイモの栽培に乗り出していく。ここらへんの奮闘ぶりも見所。読んでいるとジャガイモが食べたくなる。そういえばスピルバーグの映画『E.T.』に登場する異星人も植物学者だったっけ。彼(?)の場合は逆に地球に取り残されるんだけどね。

 

 かなり読みやすいので意外だが、本書は紛れもなくハードSFである。ガチガチの理論と専門用語が頻繁に登場するのでそれなりの専門知識が無いと理解できない場面も多々ある。そういう部分を「なんとなく」理解して読み進めるのもハードSFの楽しみ方ではあるんだけど、やはりそれでは玄人以外には近寄り難いよね。その点本書は主人公の軽快な語り口でハードルはかなり低いと思う。なるべくわかりやすく書かれているし。

 世界中が注目する通信に「見て見て!おっぱい!―>(・Y・)」と書き込んじゃう主人公の態度に呆れながらも大笑いし、そして僕らは心強さを感じるのだ。確かにこの男は皆に愛されるな。

 まあ「ソル」(火星の1日。地球の1日とは少し長さが違う)、「MAV」(火星の地表から火星軌道まで上昇する宇宙船。星間飛行するほどの能力はない)、「EVA」(宇宙船の外で、宇宙服を着て何らかの活動をすること)あたりの用語を頭に入れておけば大体わかるんじゃなかろうか。

 解説で中村融が本書を「NASAオタク小説」と表現している通り、ここで描かれるミッションはとてもリアルなので、誰か詳しい人が図解で詳細にストーリーを分析したらとても面白いと思うんだがなあ。

 

 この物語には、荒唐無稽な展開は登場しない。主人公を襲う危機はどれも実際的に起こり得る危機であり、現実的な恐怖である。タコ型火星人が攻撃してくることもない。もしこれが未来の宇宙飛行士によって書かれたドキュメントだと言われても違和感はないだろう。

 それらを切り抜けるのは主人公マークの知識とユーモア、へこたれない精神力と何事にも立ち向かっていく勇気だ。実は1カ所だけマークが自暴自棄になる場面があるのだが、それでも次の瞬間には彼は気持ちを切り替えている。そして改めて逆境に立ち向かうのだ。何度失敗しても。そしてそれに応えるように多くの人々が国の枠も越えて全力で支援するのが感動的。 それこそアポロ13号のクルーを救うために多くの人間が頭をひねったように、マーク1人を救うために大勢が寝る間を惜しんで努力するのだ。そこには科学技術と人間への無条件の信頼がある。ハードSFであり新たな冒険SF小説の傑作だ。

 あ、あとアメリカ人は本当にダクトテープ好きなんだなと思った。 

 

 ところで邦題はもうちょっとカッコいいのなかったのかなー。火星といえば宇宙SFの花形。タイトルに「火星」がつくSF小説には有名な『火星年代記』(R・ブラッドベリ)をはじめとして、『火星夜想曲』(I・マクドナルド)、『火星ノンストップ』(ジャック・ウィリアムスン)、『火星のタイム・スリップ』(P・K・ディック)、『火星の虹』(R・L・フォワード)なんかがあって、あと日本人作家のものでも『火星兵団』(海野十三)、『火星甲殻団』(川又千秋)、『火星鉄道一九』(谷甲州)、『昔、火星のあった場所』(北野勇作)、『火星ダーク・バラード』(上田早夕里)などなど山ほどある。どれもカッコいい感じじゃないすか。

 本書の原題はシンプルに“The Martian”。「マーシアン」は「火星人、火星の」といった意味だから確かに『火星の人』であってはいるが……なんかなあ。田中光二の『異星の人』と被ってるし(ただ初めて『異星の人』というタイトルを見た時は「ハインラインの『異星の客』と被ってる!」と思った)。

 もし僕が邦題をつけるなら……そうだな、例えば『火星漂流』なんてどうだろう。いやだめだなんか火星が漂流しているみたいだな。いっそ本書のキャッチコピーである『火星のロビンソン・クルーソー』をタイトルにしては……ちょっと狙いすぎか。原題ままの『ザ・マーシアン』では味気ないしなあ。裕次郎っぽく『火星ひとりぼっち』じゃ何かイメージ違うしな。
 ううむ、難しい。

 

 ちなみに本書はリドリー・スコット監督で映画化されて近日公開されるそう。確かに映画化に向いている題材だと思う。ストーリーに中国が絡んでいるところも昨今のハリウッドの事情を考えると好都合だ。主演はマット・デイモン。『インターステラー』で宇宙へ行ったばかりなのにまた行くのですね。