ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]灯籠

 

灯籠 (ハヤカワ文庫JA)

灯籠 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 夏は生命が躍動する季節でありながら、何故か死を想う季節でもある。それは日本においては「盆」という行事があるからだろう。多くの人にとって夏休みは同時に盆休みであり、それは祖先の霊に想いを馳せた記憶なのだ。
 僕自身は正直信仰心とか全く無くて、人は死んだらそれで終りだとしか思わないし、死後の世界のようなものがあるとは思えない。だがそんな僕でもやはりお盆というものには何となく背筋を正してしまうし、単なる行事だと思っていても死んでいった人たちの記憶を自分の中で毎年更新するというのはそれなりに大事な作業だとは思う。

 

 この本の作者うえむらちか広島県出身。女優・タレントとして人気テレビ番組やCMにも多く出演しているそうだ。実のところ芸能オンチな僕は名前を見てもピンとこなかったのだけど、調べてみたら「あーあの人ね!」と思い出す位には有名な人だった。最近は「カープ女子」としても活躍中だとか。すいませんその方面も全然詳しくないので知りませんでした。
 しかしまあそんな芸能人が小説を書いたというと、どうしても色眼鏡で見られてしまう訳で。「どうせ大した内容も無いのに話題性だけで本出したんでしょ」という視線は本人が一番強く感じたのではないだろうか。でも本書はそんな先入観でスルーするのは勿体ない幻想的な佳品である。

 

 広島に暮らす孤独な少女・灯(ともり)は、8歳の夏に山道で不思議な青年・正造と出会う。「盆灯籠」を抱えて両親の墓へ向かう途中の事だった。
 それ以来、灯は毎年お盆の時期に正造と邂逅するようになる。年に一度4日間だけの楽しい時間だったが、正造にはどこか浮き世離れした所があった。
 そして17歳、灯にとって忘れられない夏がまたやってくるのだった。

 

 毎年お盆の時期に不思議な青年と会う話なのだから、大体その青年の正体は想像がつくと思う。この小説は2話に分かれており、前半にあたる第1話はほぼその想像を裏切らないだろう。文章はなかなか上手だけど展開は読めるよねえ、なんてすれた読書好きは言うかも知れない。正直僕もそう思いました。実際、第1話は概ね僕の想像通りだった。まあ少女マンガです(最近話題になった「壁ドン」も登場)。
 ところが後半にあたる「ララバイ」と題された第2話で作者が巧みな技を仕掛けていた事に気づかされるのである。
 第2話は第1話で脇役だった灯の同級生「清水クン」の視点で語られる。大人になって先生になった清水は母校である高校に赴任する。故郷で彼は高校時代のある出来事を回想するのだが……。
 前半で油断していただけにこの後半での不意打ちには意表をつかれてしまった。読み終えた後に冒頭から再度読みなすと、なるほどそういう事かと思わされる。これは人が人を想う切なさと別れがもたらす孤独が丁寧に描かれている小説だ。

 

 ともあれ言ってしまえば「所詮タレント本」という偏見でハードルが下がっていたからこそ後半で驚かされたのだけど、まあ一つの作品として見てみるといたって普通の水準ではある。ものすごく上手いという訳ではない。というかやや舌足らずだとさえ言える。ただ芸能人として活躍する若い女性がこの水準の作品を書けるというのは確かに凄い。今後にも期待できるのでは。

 

 本書の見所の一つに広島の豊かな自然や文化の描写がある。うだるような夏の暑さ、山に囲まれた地形。そんな自然の描写は読んでいて鮮明に目に浮かぶようだ。

 また「こんなとこではぶてんさんなや」(p70)とか「座ったら目を瞑って、私がいいっていうまで開けちゃだめじゃけんね」(p131)なんて広島の方言もなんだか可愛らしい。
 僕が一番もの珍しかったのはストーリー上で重要な役割を果たす「盆灯籠」という風習。表紙イラストで女の子が持っているのが盆灯籠なんだけど、これは竹で出来ていて、役割としては卒塔婆にあたるものらしい。お盆の時期にお墓の周りに立てるそうで、作中で何度も描写されるこの盆灯籠のカラフルで鮮やかな美しさと儚さが印象に残る。

 あとがきによれば作者は元々漫画家も目指していたそうで、この物語は漫画で描くつもりで作ったものだという。なるほど描写が映像的なのも納得。
 最後のページには作者の手によるイラストも掲載。また作者のブログにはこの小説のスピンオフというか番外編の掌編が掲載されている。
 さらに今年の2月には「カタオモイ.net」プロデュースで舞台化され、池袋の劇場で上演されている。

 

 広島とお盆というテーマであればどうしても原爆や戦争が物語に関わってきそうだが、そこまで背伸びしないでこのボリュームの小品に纏めたのは正解だと思う。

 「お盆くらいは帰ってきんさいよ」。東京で活躍する作者は何度もそう声をかけられたのだろう。

 盆は、普段会えない人に会う季節。その言葉は生きている人と死んだ人、生きている人と生きている人の間で交わされる。それぞれのいじらしい想いが交錯する。

 「お盆くらいは帰ってきんさいよ」。もしあの世があるなら……そこの住人たちが、年に1回くらいは自分たちの思い出を引っ張り出してくれてもいいじゃない、と話しかけているのかも知れない。