ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]ユービック

 

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

 

 

 1969年に発表されたフィリップ・K・ディック代表作の1つ。

 1992年、社会では超能力者が様々な場面に侵入し、プライバシーを侵害していた。そんな超能力者たちを無力化する「不活性者」を依頼主に派遣する企業・ランシター合作社は、月面に多くの超能力者が集結しているという情報を入手、彼らに対抗するため11名の不活性者を月に送り込むが、逆に罠にはまり大きな被害をうけてしまう。
 その場に居合わせたランシター合作社のテスト技師・チップは、生き残ったものだけで態勢を立て直そうと奮闘するが、やがて全世界を巻き込んだ恐るべき時間退行現象が始まり、チップらは奇妙な悪夢の世界に取り込まれていく。
 時間退行現象の中で次々と命を落としていく仲間たち。いったい世界はどうなってしまったのか、誰が生者で誰が死者なのか。死の瞬間を引き伸ばされた「半死者」が当り前に存在する世界。生と死の境界は次第にあいまいになっていき……。

 

 P・K・ディックにしてはちゃんとストーリーがあり読みやすい部類。彼の作品の中ではハードルは低い方なので、慣れてない人でも入りやすいかも。とはいえ、「読心能力者(テレパス)」や「予知能力者(プレコグ)」といったSFやディック作品ではお馴染みの専門用語が何の説明もなく普通に登場するので、それらに触れた事のない人はやっぱちょっと面食らうかも。
 でも冒頭を乗り越えて世界のルールが判明してくると、物語はぐるんぐるんと駆動しはじめる。奇怪な世界においてチップはとにかく生き残るために東奔西走する。時間退行現象から逃れるにはどうやら「ユービック」というスプレー剤が必要らしい。しかしそれがなかなか手に入らない。チップはユービックを求めて喘ぐように世界を駆けずりまわる。

 

 面白いのは、超能力者たちを中和し無力化する不活性者たち自身も一種の超能力者として描かれているところだ。つまりこの小説に登場する人物たちはほとんどが何がしかの特殊な能力を持つ者なのである。社会のあらゆるところに普遍的に存在する超能力者たち……。

 この小説のタイトルにもなっている「ユービック(Ubik)」とは、作中でも説明されている通り、「ユービクイティ(神の偏在)」や「ウビーク(あらゆる場所)」が語源の造語である。現在、現実世界では携帯端末やウェアラブルデバイス等の発達により「ユビキタス(ubiquitous)」という言葉がだいぶ浸透してきている。日本語に訳しにくいことで有名なこの言葉と、「ユービック」は同じ語源を持つ言葉だ。

 あらゆる場所に存在する。その言葉の意味するところは。深読みしようと思えばいくらでもできそうだ。

 

 後半、意外な真実が次々と明らかになり、チップはますます翻弄されていく。しかし生き延びるために、ユービックを手に入れるために、彼は必死だ。この生への執着が行きつく果てには……ラストにはちゃんと(?)後味の悪いオチまでついている。
 この小説、昔から映画化の話があるらしく、'70年代には作者が自ら映画化用にシナリオ化している。結局この時の映画化の話は流れたようだが、このシナリオは2003年にハヤカワ文庫から『ユービック:スクリーンプレイ』のタイトルで邦訳刊行されている。ディックが自ら手掛けた自作の映画化用シナリオというだけでファンにはえらく興味深いものだが、こちらと読み比べてみるのも面白いだろう。
 現在のハリウッドの技術があればディックの『スキャナー・ダークリー』でさえ映像化できるのだから、これも簡単に映画化できそうなものだが……。まああまり期待せずにその日を待とう。しかしこの小説で描かれた「未来」が1992年とはなあ。

 

 ハヤカワ文庫は数年前からディック作品のカバーを黒&灰色基調のスタイリッシュなものに順次変更しており、この本も僕の記憶では2011年頃に現在のカッコいいカバーに変更&トールサイズ化されている。以前は渦巻きをモチーフにしたイラストだったっけ。その前は男の顔の下半分を描いた不気味な表紙だった。
 こうして古典的作品をどんどん新しい装いにしていくのはいい事だと思う。しかし僕の手元にある版(2011年5月25日18刷)を見ると、今回のカバー変更に伴って、裏表紙のストーリー紹介に誤字が発生している(×「半予知能力者」→○「反予知能力者」)。以前のバージョンのカバーでは正しい表記がされているのがネットの画像などで確認することができるから、これはきっとカバー変更の際のミスなのだろう。裏表紙のストーリー紹介ってカバー変更のたびに出版社の人が手打ちで改めて書き起こしているんだなあと思うと、その地味な苦労にちょっと感動する。