ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]WORLD WAR Z

 

WORLD WAR Z〈上〉 (文春文庫)

WORLD WAR Z〈上〉 (文春文庫)

 

 

 人類が史上最大の敵との戦いに勝利してから10年。国連戦後委員会の職員である主人公は報告書作成のために当事者たちへのインタビューを行った。

 これは恐るべき敵との戦い「世界Z大戦」の記録である。

 

 最近、世界的にゾンビブームが起きており、本書もそのブームの中アメリカで出版されたもの。2006年にマックス・ブルックス(父親は映画監督・脚本家・プロデューサーのメル・ブルックス、母親は女優のアン・バンクロフトなのだそうだ)がアメリカで刊行した“World War Z:An Oral History Of The Zombie War”の邦訳である。Zとはもちろんゾンビのことである。人類とゾンビとの戦いをリアルタイムで描くのではなく、関係者への取材を通した回想という形で描いている所がユニークだ。 

 

 主人公が取材する相手は市井の人々から政治家まで様々な立場の人たちで、国籍もアメリカだけでなくアジアからヨーロッパまで世界中にわたっている。
 膨大なインタビューで浮かび上がるZ戦争の全貌。始まりは中国の奥地で、ある医師が農村で発見した奇病だった。その感染症は人類をゾンビへと変貌させ、やがてそれは患者との接触により瞬く間に世界中へ拡大していき、遂に人類の存在を脅かす存在となっていく。ここらへんが「証言」という形で克明に語られるのがリアリティを演出している。

 

 この戦いはこれまでの戦争とは全く違うため、人類は大きな犠牲を強いられる事になる。何しろゾンビに襲われた人間もゾンビになってしまうため、味方の消耗が即敵の増強につながるのだ。やがて判明する寒さに弱いという相手の弱点をつき寒冷地帯に退却する人類だが、ある作戦から反撃に転じるのだった。

 語る1人1人がそれぞれの人生を背負っている。世界史の中では小さな出来事でも当人にとっては一生の記憶に残る出来事だ。それは奇跡であったり惨劇であったりする。主人公が取材する小さなエピソードが少しずつ積み重なって大きな物語になっていく。モザイク状に描き出されるゾンビものというのは非常に珍しい。
 長い物語だが、最終章ではそれまで登場した人物が再登場するのがなんかフィナーレって感じで感慨深い。

 

 ちなみに本書が書かれるまでの過程も面白い。実は著者は本書の前に『ゾンビサバイバルガイド』(The Zombie Survival Guide:Complete Protection From The Living Dead)という本を書いている。この本はAmazonの解説によると<ゾンビの性質、身体的特徴、行動パターン、ゾンビと戦うための適切な武器、戦闘技術、ゾンビへの攻撃法、ゾンビからの完全な防御法、ゾンビ大発生中の逃亡法。人類最大の脅威ゾンビ襲撃から一般市民が生きのびるため>の方法が詳しく書かれており、<全人類必携>とあおり文句が書かれている。

 この本が結構ウケて、じゃあこんな本が必要になる世界ってどんな世界なんだ? そりゃきっとゾンビと全面戦争している世界だ! てなノリで『WORLD WAR Z』が書かれたらしい。
 作者はうまくゾンビブームの流れに乗ったのかなと思うが、解説によると映画等では流行がきていたが小説の分野ではまだまだその流行は波及していなかったそう。当初はタイトルも“Zombie War”にしたかったのがそれじゃマニアにしか売れないだろうということで現在のタイトルになったそうだ。そうか、紆余曲折があったんだな。
 てことは単にブームに乗っかっただけの小説ではないという事なのだろう。だからこそ回想形式やモザイク状の構成といった工夫を凝らしているのかな。人類が戦争に勝利する事は最初でわかっているのに、これだけ読ませるのだ。
 余談だが風間賢二による解説も本文を踏まえた形式で書かれてて凝っている。

 

 作中では日本も登場。非武装国家の日本では国民が国からの脱出を始めている。SFファン的に見逃せないのだがこれは『日本沈没』を基にした展開のようで、日本脱出を提言する科学者の名前が小松博士なのである。わかる人にはピンとくるよね。
 他にも戦前の日本で最大の人気を誇ったコメディアンとして「松本と浜田」が言及されるなど絶妙にマニアックなネタを仕込んでいる。またZ戦争における混乱期、日本は世界で最も高い自殺率を記録したという設定も興味深い。

 

 ところでこの小説、ブラッド・ピットの会社で彼自身が主演して映画化され、2013年6月に全米公開されている(日本公開は同年8月)。
 映画化って言っても「世界中にゾンビが発生」「国連職員が世界を飛び回る」という以外共通点は無く、それどころか「ゾンビがダッシュする」「噛まれたら12秒で発症」等原作に無い要素を取り入れほとんどオリジナルストーリーと言って良い。ラストのオチも全然違うのだが原作者はどんな気持なんだろう。
 それ以外にもツッコミ所は多いが、パニック物なのに血がほとんど流れないし映像も派手なので単純に娯楽映画だと思えばカップルやファミリーで楽しめる映画だ。なぜか日本ではゾンビ物だという事を隠して宣伝していたが。
 ちなみにブラピは本書以外にも『ゾンビの作法 もしもゾンビになったら』(ジョン・オースティン/太田出版)と『ゾンビ襲来』(ダニエル・ドレズナー/白水社)の2冊の本の映画化権を獲得しており、本書と併せて3部作として映画化する予定なのだそうだ。ゾンビ好きなのかな。

 

 2010年文藝春秋から単行本刊行。2013年文春文庫にて上下巻に分冊で文庫化された。