ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]ZERRO

 

ZERRO

ZERRO

 

 

 数年前、全国の民家の玄関や表札などに奇妙な記号のようなものが書き込まれているのが話題となった。何者が何のためにやっているのかと大騒ぎになったが、どうやら訪問販売業者が仲間内の符丁として使っているらしい。記号の組み合わせによって、「この家にはどんな人が住んでいる」「何時頃在宅している」といった情報を伝えているのだとか。また窃盗団や空き巣のグループなども同様のサインを使っているとも言われ、現在でも詳細は不明だがどうにも不気味である。

 

 そんな例を見てもわかるように、人は自分が理解できない記号や文字といったものに限りなく好奇心をかきたてられるものらしい。これは何なのだろう、どういう意味なのだろう、と様々な空想が拡がっていく。
 そこでは推理や知識の翼が意味を求め大きく羽根を広げていく。神秘的だから人々は惹きつけられ、だからこそ暗号というものが昔からミステリー小説等において重要なモチーフたり得るのだ。
 そういえば映画化もされて話題になった1960年代の米国の連続殺人事件「ゾディアック事件」でも、犯人からの手紙に暗号が使われていた。この事件においてもこの暗号や犯人が自分を表すために使ったシンボルマークなどがミステリアスな要素として大きく扱われた。

 

 前置きが長すぎたか。つまり、本書はそのような知的好奇心をひどく刺激する一冊である。著者はまえがきにおいて、「今はもう使われなくなった文字や記号、奇妙な形のサインなどを集めてみたくなった」と述べている。そう、本書はモールス符号点字から、錬金術記号、ルーン文字、テレビ・ビデオ・オーディオ記号まで実に多様な文字が121個も収集されている。
 ほとんど実際的には使われることもなく消えていった文字も多いようだが、それでもそういった文字を眺めているだけでも楽しいものだ。
 著者は純粋に形のおもしろさでこれらの文字を集めているので、学術的な側面よりも興味の対象としての側面を強く押し出しているようだ。だから個々の文字に対する解説も実にあっさりしていて掘り下げは恐らく意図的に浅くしている。学問的に記号論言語学を追及したい研究者にとってのテキストとしては物足りないだろうが、奇抜な文字に対する好奇心に突き動かされたコレクターの集大成の書と考えると実に思い入れたっぷりに作られている。著者自身、この本を「奇妙な昆虫図鑑のようなカタチ・ワールド」と表しており、なるほど、著者の姿勢は嬉々として昆虫採集にいそしむ夏休みの少年の姿とダブる。

 

 本づくりにもこだわっている。オレンジ一色に全体が染め上げられた色彩や、カバー裏に描かれた図形など著者のこだわりが表れている。本自体が一つの作品なのだ。よって本の蒐集家ならきっと自分の本棚に納めたくなる。ここにまた新たなコレクションの連鎖がきっと始まる。

 文字や記号をデザインとして捉えなおすハイセンスな視点に読者は魅了されるだろう。さきに述べた通り、学術的な系統性は無視されているので、紹介される文字たちに連続性がないのはちょっと残念だが、著者は形の似ているものが少しずつ変化していくように順番を配置しているので、読み進めるうちに読者は様々な文字と相対することになる。
 パラパラとページをめくっているだけでも楽しいが、じっくり読むと面白い発見がいろいろあって、きっと気に入る文字がいくつか見つけられるだろう。
 個人的に好きなのはギリシア・クレタ島のファイストス古代宮殿遺跡で発掘された「ファイストスの円盤」に刻印された45個の絵文字である。なんだかカワイイ絵柄で素敵。解読のための文字数が足りず、解読が頓挫しているという所もなんか魅力的ではないか。
 ヨーロッパからアメリカの放浪者・ホボたちが使ったサイン「ホボ・サイン」なんてのはまるきり冒頭に書いた訪問販売業者のサインと発想は同じである。文化や時代は違っても人間の考えることは同じなのだなあと感じる。

 

 もちろん日本に関わる文字もたくさん収録されている。明治以降「国字改革論」なる運動があり、欧米の列強と対抗するために日本語の文字も変えていこうという動きがあったという。そこで発案された文字も多数収録されている。アルファベットのような奇抜なものもあり、すごいもんだなあと感嘆させられる。その中の一つ「流水文字」で書かれた『吾輩は猫である』(夏目漱石)の一節なども記載されており、見てて楽しい。
 僕が住んでいる沖縄に関わるものでも、与那国島のハウスマーク「家判(ダハン)」が紹介されてる。

 

 この本の名前だが、まえがきによれば「不思議な記号の出発点はゼロがふさわしいように思えてきた[中略]ただし、ZEROの範囲を逸脱する(err/error)の意味を込めて『ZERRO』とした」そうだ。ここにもこだわりが表れている。