ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]幸せではないが、もういい

 

 

幸せではないが、もういい (『新しいドイツの文学』シリーズ)

幸せではないが、もういい (『新しいドイツの文学』シリーズ)

 

 

 これはもうタイトルで「やられた!」という感じになる。そうきたか。「幸せではないが、もういい」なんてよく思いつくなあ。

 このタイトルにはみんなぐっときているようで、ブルボン小林の『ぐっとくる題名』(中公新書ラクレ)でも取り上げられている。内容には一切触れずにタイトルの絶妙さだけ語っているのだが、これが面白いので引用してみる。

 

<これは実は「先入観から逸脱する」題名でもある。「幸せではないが」という言葉で、我々はかるくみのもんたになる(「おもいっきりテレビ」の)。「どうしたの?」と聞く態勢になっている。/ところが電話口の声は「もういい」と言って、ガチャリと受話器を置いてしまった。えっ、もしもし?もしもーし!まさかという展開だ>(前掲書p106)

 

 本当にそんな光景が目に浮かぶようである。こんな風にブルボン小林もある種コミカルな愉快さをこのタイトルに感じ取っているのだが、実際のところこの小説の内容は非常にシリアスで笑えないので要注意。

 

 1971年11月、オーストリア南部のケルンテルン州で51歳の主婦が死んだ。睡眠薬の服用による自殺だった。
 それから数週間。作家である息子は母について記述する作業にとりかかる。50年以上前、死んだのと同じ場所で母が生まれた時に遡って……。
 作家が母親の自殺の翌年に発表した作品は、母親の生涯を巡る思索。

 僕もこのタイトルに惹かれて本を手にとったクチなので、作者のペーター・ハントケってどっかで聞いたことあるなー位の認識だったのだが、調べてみて思い出した、ヴィム・ヴェンダース監督の映画に関わっていた人だ。1972年の『ゴールキーパーの不安』では原作と台詞、1974年の『まわり道』では原作・脚本を、1987年の『ベルリン・天使の詩』では脚本を担当している。

 

 経歴を調べてみると、若い頃からセンセーショナルな活躍をしていたらしく、1960年代には実験的で前衛的で挑発的な作品を次々と発表、物議を醸すことも度々だったらしい。その頃の作品には4人の出演者が最初から最後までひたすら観客を罵倒し続ける戯曲『観客罵倒』なんてものもあったそうだからなかなかとんがっている。

 しかし本書はそんな派手なイメージからはほど遠く、静謐な雰囲気に満ちている。訳者あとがきによると、<発表された当時、オーストリアの小さな村の出の平凡な女の、ナチス時代から戦後にかけての生と死を扱った本書は、肯定的にせよ否定的にせよ、それまでハントケに付与されていたアヴァンギャルドのスター作家のイメージとは異質のリアリズム的な作品として受け取られた傾向があった>(本書p147)そうである。

 

 ハントケ自身の戸惑いが赤裸々に記され、現実と物語の間で逡巡する。彼の筆は最初から母親をある《人》として描き続け、約3分の2が過ぎたところでようやく次のように宣言する。

 

<さてそろそろ、不特定の《人》ではなく、専ら《彼女》のみについて記したい>(本書p97)

 

 このためらいは何だろう。そして終盤、母親が自殺する直前の場面、彼は突然こう記す。

 

<ここから先は、私は、自分自身のことをあまり語りすぎないように気をつけなければならない>(本書p125)

 

 決して感傷的な物語ではない。自殺した母の生涯を辿る作家、という状況からイメージされるような感動的な物語では決してない。母への愛情とか、喪失感などというわかりやすい感情ではない。空虚な自分をもてあましつつ、記憶の世界をさまようような……。

 

 原題は“Wunschloses Unglück”。僕はドイツ語を解さないけど、Google翻訳で調べてみたらシンプルに「悲しみ」と訳されていた。だが前述の訳者あとがきによるとなかなか繊細なニュアンスと言葉のテクニックが含まれているようで、訳者もやはりどう訳すか迷ったらしい。結局直訳はせず、内容を勘案してこのタイトルとしたそうだ。<ここに原題は何らかの形で影を落としてはいるものの、むしろ作品全体についての訳者の解釈を含んだタイトルというようにとらえていただければ幸いである>(p150)という。
 余談までに、英語版では“A Sorrow Beyond Dreams”というタイトルになっているようだ。

 

 ここまで読み終えてタイトルを見返すと、読む前に期待していたような愉快さは微塵もなく、ただ暗く重い女の一生が浮かぶだけである。終盤、突然フラッシュバックのように作家と母親の日々が断片的に描写される。唯一「思い出」らしい部分だが、そこにも単純に美化された記憶は描かれず、不快な記憶も明滅する。うーむ、結局何が書きたかったんだろう。

 

 最後の一行は、将来この物語が再び語り直される事を示唆しているが、未だ実現はしていない模様。ある女性の生涯を通じて淡々と描かれていく不幸。幸せとは何か。作者の初期の代表作である。裏表紙には、この本に描かれた母親の墓の写真があしらわれている。