ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

 

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

  • 作者: モフセンマフマルバフ,Mohsen Makhmalbaf,武井みゆき,渡部良子
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 単行本
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 先日、テロリスト組織・通称「イスラム国」がイラク北部において数千年前の文化遺産を次々と破壊している事が明らかになった。彼らは世界遺産「ハトラ遺跡」を破壊する映像を動画サイトに公開。世界から非難の声があがっている。
 このニュースを目にした時、アフガニスタンを思い出した人も多いかも知れない。
 2001年3月。アフガニスタンバーミヤンの仏像がイスラム原理主義組織タリバンによって破壊された。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているというのがその理由だった。
 この時も世界中から批判の声があがった。当時大学生だった僕の周囲でもみんな訳知り顔でその蛮行を批判した。だがそれは「文化財を破壊した」事に対する批判であり、タリバンが支配するアフガン国内で何が起きているのかまで理解していた人は少なかった。やがて9.11テロをきっかけに世界中を巻き込んだ混乱が始まると、破壊された大仏の話は過去のものとなっていった。
 アフガンの隣国イランの映画監督モフセン・マフマルバフは怒り、嘆く。

 

<ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ>(p27)

 

 この本は、タリバン(本書では「ターリバーン」と表記)が仏像を破壊した年の8月に出版が企画された。マフマルバフ監督の映画『カンダハール』の日本での配給が決まり、それに関連して翻訳・出版の準備が進められていたのである。しかし9月11日、米国で同時多発テロが発生。世界が騒然とする中作業は急がれ、緊急出版された。アフガンの現状を日本の人々に伝えようとした訳者や出版社の労苦には頭が下がる。

 

 この本はマフマルバフ監督による3つの発言をまとめたものだ。1つ目は『カンダハール』でユネスコフェデリコ・フェリーニ・メダルを受賞した際のスピーチ。2つ目は大仏の破壊後に記したアフガンの現状レポート。そして3つめは当時のイラン大統領ハタミへの公開書簡である。巻末には編集部による『カンダハール』解説も付されている。

 この本を読んで痛感したのは、自分があまりにも現実を知らないという事だった。
 アフガンは国内の75%が山岳地帯で、ソ連による侵攻以来、国内の部族間による内戦状態が続いていた。この部族主義は強烈で、本書によれば、<アフガンの人びとのソ連との戦いを外から眺めれば、それは一つの国民の抵抗に見える。しかし、内から見れば、それぞれの部族が、自分がその内に捕らえられている峡谷を守っていたのだ。そして外敵が出ていった時、再び誰もが自分の峡谷を世界の中心だと思いこんだ>(p62)という。 

 

 いわゆる「近代化」に失敗し、20年にわたる戦争に疲れた人々が<どうか、誰でもいいから一番強い人間が、アフガニスタンを統一してしまって欲しい。アフガニスタンの歴史の運命を、どこか一つの方向に向けて欲しい。いい方向でなくても構わないから>(p60)と考えたのは仕方が無いのかも知れない。そこに出現したのがタリバンだった事を私たちは当時知っていただろうか。

 

 2001年が国連の定める「文明間の対話年」であったという皮肉。
 著者は映画監督だからこそ「映像(イメージ)」の持つ力を理解している。本書中でもその重要性を繰り返し述べている。長いが印象的なタイトルも然り。このタイトルを聞いた時、読み手はそのイメージを頭の中に容易に描く事ができるだろう。
 忘れられた国アフガンが世界的混乱の中心となった時、我々はその「イメージ」を脳裏に持たなかった。
 その点、現在「イスラム国」がネットによる動画配信で巧みにイメージ戦略を練っているのは象徴的であろう。

 

 著者は嘆く。軍人でもなく、政治家でもなく、神でもない身で作家の無力を嘆く(p69、p138)。
 僕の周囲には、ネットさえあれば何でもわかるという人もいる。そうかも知れない。だからこそ、そう考える人たちにはお願いがある。自分の興味が無いことも知ろうとしてくれ。自分の世界以外にも興味をもってくれ。世界の悲劇は無理解と無知に要因があると著者は訴えている。ぬくぬくと居心地のいい国で暮らす我々に何がわかるのだろう。自戒を込めて思う。

 

 解説にも記されているが、著者の姿勢には微かに欧米的偏見が感じられ、必ずしも全肯定されるものではない。しかしその言葉は今やテロ集団の標的となった日本に暮らす我々をつき動かすものだ。
 この本は今だからこそ大手の出版社から文庫化されるなどして、長く読まれて欲しいと思う。

 映画『カンダハール』も9.11以前のアフガンを描いており必見。
 本書とは全く関係ないが、2003年にアフガン復興後初めて製作された映画『アフガン零年』と観比べると様々な意味で愕然とすると思う。