ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


自己紹介とこのブログの内容についての説明は こちら。

[読書]どこかにいってしまったものたち

 

どこかにいってしまったものたち

どこかにいってしまったものたち

 

  

 明治から続く商店、クラフト・エヴィング商會のたくさんの引き出しの中に、「どこかにいってしまったものたち」とラベルが貼られた引き出しがある。そこにはかつてクラフト・エヴィング商會が扱っていたものの、様々な事情により現物が失われてしまったものについての資料が入っている。


 現物のない解説書や宣伝チラシ……。そこから見えてくる、今はどこかにいってしまった不思議な商品の数々。レトロな雰囲気を纏いつつ、流れ星のようにきらきらと一瞬だけ僕らの脳裏に姿を垣間見せる不思議なものたち。
 この本は、そんなクラフト・エヴィング商會の引き出しの奥に眠っている品々たちのカタログだ。「迷走思考修復機」「全記憶再生装置」「中國的水晶万年筆」「流星シラップソーダ」「空中寝台」……。名前を聞いただけで空想が無限に広がるようなワクワク感を与えてくれる。
 失われてしまったものたちへの限りないノスタルジーと、未来へ続く幻惑の美品たちの世界へ足を踏み入れたい。

 

 この本で紹介されているのは、例えば次のような商品だ。 

 

「月光光線銃」(大正14年/東洋電氣株式會社) 

 月の光を吸収し、その光を発射する光線銃。限定発売されたもので、本書で紹介されているのは通し番号32番。クラフト・エヴィング商會にはこれの解説カード30枚のうち6枚のみが残されている。音もなく発射される美しい月の光が目に浮かぶ。

「時間幻燈機」(大正11年/舶来通信株式會社) 

 失われた建造物を西の方角に映し出す機械。古い建物自体が「ひとつの時間の集積」という考えに基づいている。本体とともに付属の計算機械も現在は喪失。皮肉にも関東大震災により製作会社自体が焼け落ちてしまったため、この夢のような機械は永遠に失われてしまった。

「人造虹製造猿」(昭和3年/文化製造生活社開発立案第2支部) 

 30センチあまりの木製の猿の人形が、開いた両手の間に虹を浮かび上がらせる。当時人気のあまりか大量のコピー商品が出回ったとか。かつてこのような猿が実在していたという伝説めいたエピソードも残されている。収納箱と解説書、告知ポスターといったものがクラフト・エヴィング商會に残されている。

 

 こんな幻惑の商品たちの現物でなく残された痕跡だけを集めたカタログ本というのがユニークだ。

 

 巻末で作者自身があっさりネタ明かしをしているので書いてしまうが、<本書のすべては、あたかも本当のことのように造られた架空のものであり、まったくのフィクション>なのだという。まあ、読み進めるうちに誰でも気付いてしまうとは思うんだけど、それでも本当にこんな商品あればどんなに楽しいだろうか、と思わずにはいられず、きっと読者はあえて騙されてしまう。本の帯では脚本家の三谷幸喜が<祖父が大事にしていた「万物結晶器」。僕の涙を結晶化してくれた時、祖父はとても得意そうな顔をしていました。……そういえばあれってどこにいってしまったんだろう。>と粋なコメントを寄せている。

 

 その他にもSF作家・評論家の森下一仁は1997年7月22日にホームページ上の日記(この頃は「ブログ」なんてなかったなあ)で、<夢のかけらを結晶させて、時間の流れの中に埋めてしまう――そんな感じ>と本書に触れており、そのエッセンスに共感している模様。単なるノスタルジーではなくて、そこに想像力の破片をひとかけら落とし込むだけでこんなにも美しい宇宙が広がっていく。
 西洋と日本文化が絶妙に入り混じった感じも、商品に奇妙奇天烈な魅力を与えている。

 

 僕もこの本を手に取るまで知らなかったのだけど、調べてみたところ、作者の「クラフト・エヴィング商會」は“店主”吉田浩美さんと“番頭”吉田篤弘さんの夫婦によるユニットらしく、本書中に登場する魅惑的な商品の数々も本人たちの手によるものだそう。しかも本の装丁なんかも数多く手掛けているそうで、本好きなら知らないうちに手にとった事があるかも。

 まあこういう風に明かしてしまうと愉しみが半減してしまうが、それを知っていてもこの本の世界に引き込まれてしまうことは確実だろう。

 いやあ、雰囲気あります。どこかオシャレで遊び心があって、ちょい不思議な手触りの世界が好きな人ならハマる本。単行本で2000円以上するのでちょっと尻込みしてしまいそうだが、これは文庫サイズで読んでも伝わらないかも。だから文庫化されてないんだろうか。

 

 どこか懐かしくて、それでいて超現実的で、不思議な「どこかへいってしまったものたち」。その残像を眺めながら、空想を羽ばたかせる時間は永遠に結晶化されるものなのかも知れない。
 もしかしてこれらは僕らの暮らす世界とは違うもう1つの世界に実在するものなのかも知れないしね。