ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]オルガスマシン

 

オルガスマシン

オルガスマシン

 

 

 イアン・ワトスンはイギリスのSF作家で、「黒き流れ三部作」や短編集『スロー・バード』等の作品が日本でも知られている。その他にもスタンリー・キューブリックが映画化を計画していたSF映画の脚本に参加するなど(後にスティーブン・スピルバーグが『A.I.』として映画化)多くの国で高い評価を受ける作家であるが、実はデビュー作『エンベディング』の刊行前、1970年に1本の長編を書き上げていた事は長らく知られていなかった。

 

 それが“Orgasmachine”。「サイバーポルノ」と称され、英語圏ではあまりの過激さに出版を拒否され、辛うじてフランス語版とポルトガル語版が刊行されたものの、その他の国では幻の長編という扱いになっていた。
 それが2001年に30年の時を経てコアマガジンから突然の邦訳出版。日本の読者を驚かせたが、しかしこれは日本の読者にこそ読まれるべきものだ。元々英語で書かれたものなのに読むことができない英語圏のファンは気の毒だと思うが、まあでも我々は幸運だろう。この、SF史上最も過激で危険な小説を読めるのだから。

 

 退廃した「超男尊女卑社会」。女性は男性に奉仕するためだけに存在し、社会は男の原理で駆動している。「実存的な意味でおまえはモノだ―モノの終生の目的は外部の欲求の対象となることだ。女の存在は店のようなものだ。おまえのショーウィンドウはどうなっている」(p103)この台詞はこの社会の仕組みを端的に言い現している。
 そんな世界では男の欲望を満たすためだけに身体改造を施されたフリークス「カスタムメイド・ガール」が人工的に「製造」されている(この小説の元々のタイトルは“The Woman Factory”もしくは“The Woman Plant”だった。「女性工場」である)。
 猫の毛皮と爪を持つ女、身長が25センチしかない女、乳房が6つあり声を出せなくされた女。彼女たちは自分たちが「出荷」され注文者のもとへ旅立つ日を夢見ている。私を「発注」した人は私の事を可愛がってくれるだろうか―マンガのように異様に巨大な瞳を持つ女ジェイドもそんな1人だった。だが彼女たちの運命は甘いものではなく、過酷を極めるものだった。

 

 解説の大森望は「サイバーポルノ版『家畜人ヤプー』」と形容しているが、まさにその比喩の通り奇怪な物語が進行する。
 英語圏で発禁になったSFポルノ、と聞いて妙な期待をしてはいけない。この小説はそんな「実用」に供するものではない。なぜかと言うと理由は2つある。
 1つにはこの物語はエロティックであるよりグロテスクだからだ。男の欲望に忠実に従うよう設計された女たちの運命は目を背けたくなるほど凄惨である。つまり、英語圏の出版社が出版に二の足を踏んだのはその性描写の過激さというより、女性が完全にモノとして扱われる非人道的世界観に抗議が殺到するのを恐れたからなのだ。
 もちろんそれはワトスンの意図する事ではないから最後にはそんな世界観を否定するラストを用意しているのだが、表面だけ見たら女性蔑視小説だと思われても仕方ないのかも。
 中盤、セックス・マシン(自動販売機型売春装置みたいなもの)に閉じこめられたジェイドが記憶を失ったまま男たちに奉仕するシーンや、自分の運命を受け入れられず、しかし声を出せないように改造されている女性が、泣き叫ぶ事もできず涙を流しながら心を閉ざしてしまうシーンなどは読んでて辛くなるほど心に突き刺さる。

 

 作者はあえて極端に男たちを醜悪に戯画的に描いているが、ちょっと恐ろしいのは現実世界とも地続きに見える事。そしてそれが2つ目の理由である。

 ワトスンは60年代後半に3年間日本で暮らしており、その時の経験がもとでSFを書き始めた事はよく知られている。そして真っ先に書き上げたのが本書だったのだ。
 だが驚愕するのは、2015年の日本に暮らす身としてはこの小説の描写も生温く感じる事だ。日本の変態文化に慣れた目を通すと、登場人物たちの行為もなんだかヌルい。邪な読者は「英語圏で発禁になったっていうから期待してたのに!」と感じるのではないか。

 

 ワトスンの想像力を刺激した日本の文化は30年間のうちにさらに奇妙に加速、さらに邦訳刊行から14年も経つと想像を追い越してしまった。その事が最も驚くべき事ではある。
 何十万円もする精巧なラブドールが売れたりする現状を見ると、この物語も絵空事じゃないよなあと思うよね。

 

 物語の後半では女たちの解放と救済が描かれる。どのような形でそれが実現するかはその目で確かめるべし。賛否の分かれる物語ではあるが、ワトスンにしてはストーリー性があるので思ったより読みやすい。
 表紙のドール制作と挿画は荒木元太郎という人が担当。僕は詳しく知らないのだけど、有名なフィギュア作家らしい。口絵も必見。

 

 いろいろあるが、当時は邦訳が刊行された事自体が事件だと言われたし、この本を出した出版社の功績はやはり大きい。解説によればコアマガジンに熱心なワトスンファンがいて、その人の熱意で出版にこぎつけたのだとか。日本のワトスンファンはこの人に足を向けて眠れないね。

 

 途中やや唐突に横尾忠則の作品に言及されたりするので面食らうが、日本文化が色濃く投影され、性と暴力を正面から扱った色々な意味で問題作である。