ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]銃とチョコレート

 

銃とチョコレート (講談社ノベルス)

銃とチョコレート (講談社ノベルス)

 

 

 その国では富豪を狙った強盗事件が多発していた。「GODIVA」と名乗る怪盗を国民は怖れたが、ゴディバを追う探偵ロイズは子供たちのヒーローだ。

 移民の子と呼ばれ周囲から辛辣な扱いを受けている少年リンツにとってもロイズは憧れの存在。そんなある日リンツは父親の形見である聖書から謎の地図を見つける。どうやらそれが怪盗ゴディバにつながるヒントだという事に気づいたリンツは探偵ロイズに連絡を取るのだが……。

 気丈な母メリー、いじめっ子のドゥバイヨル、探偵助手ブラウニー。たくさんの個性的な登場人物たちが描き出す宝探しの冒険。少年の頃に夢見た冒険の始まり。

 

 この本は2006年に講談社ジュブナイル叢書「ミステリーランド」の第10弾として刊行された。この叢書では凄腕のミステリー作家たちが子供向けにひねりのある作品を書き下ろしているが、本書も例にもれず単なる子供向けの冒険小説では終わっていない。

 なにしろ乙一である。一見単純に見えてそこには大人が読んでも十分楽しめるほど濃密な「物語」が描き込まれている。差別、憎悪、戦争、思惑、欲……。主人公たちの胸躍る冒険の根底に大人たちの身勝手で生み出された世の中の暗部が刻み込まれており、子供たちはそれに振り回されながら必死に真実を追い求めていく。

 

<「それが正義?」
 「こんとんさ。もうすこしおとなになればきみもわかるさ」>

 

 乙一作品で子供向け作品って珍しいな、と一瞬思っちゃったけど、よく考えたらもともと彼の小説は子供が主人公の作品も多いし、内容の重さに関わらず平易な文章で書かれている。同じ作品が大人向けの単行本と、ライトノベルレーベルの文庫の両方から刊行されていたりするし、特に珍しいものでもないのかも知れない。
 というか、最近の作家は子供向け(ライトノベル)とか大人向けとかそう線引きすることにあまり意味は無いように思える人も多いので、乙一もそのタイプなのかも。この本だってひらがなが多く漢字にふりがながふられていたり、「ミステリーランド」という子供向けの叢書から刊行されたりしてはいるが、通常の単行本で最初から刊行されてても違和感はなかっただろう。

 

 しかしそれでもこの「ミステリーランド」」版の装丁はイイ感じだ。本文に素晴らしいイラストが添えられているからだ。平田秀一による雰囲気たっぷりのイラストは、奇妙にファンタジックで奇妙にグロテスクだ。ワクワクしながら本を開いた少年読者たちは恐らくこのイラストの不気味さが目に焼き付いてしまうのではないか。
 でもそれもストーリーを読み進めるうちに脳に馴染んでくる。キャラクターに愛着さえ湧いてくる。都市の空気感までも描き出してまるで自分が訪れた事のある土地のようにさえ思えてくる。作中では舞台がどこの国のどこの時代なのかは明示されていない。ヨーロッパの雰囲気を持ったどこかの国のある時代。そんな世界を見事に視覚化したイラストは一度見たら忘れられない強烈さだ。
 今調べたら、平田秀一は映画『メトロポリス』や『イノセンス』の美術監督を務めた人らしい。さすが細部までぬかりがない。

 

 そして少年たちの物語は大人たちの悪意にもめげずに核心へと近づいていく。無論叢書がミステリーランドで作者が乙一である以上、一筋縄でいく訳がない。
 どんでん返しの連続に物語は何度もひっくり返され読者の予想もつかない方向へ転がっていく。読み終えたあと、ほとんどのキャラクターについて読み始めた当初とは印象が変わっていることだろう。
 そして意外な事件の真相。あらゆる伏線が回収され、なるほどそういうことかと読み手をニヤリとさせるだろう。

 

<拳銃のせんたんにくらいあながあった。指のつめくらいの小さなあなだった。そこから金属のつぶが発射されるたびに地上から人間がひとり消える。しゅっ、とつぶが出て、ぱんっ、と人生がおわる。とてもかんたんだ。チョコレートが口の中でとけるよりもはやくものごとをすませられるのだ>

 

 タイトルは銃という大人の世界とチョコレートという子供の世界が絡み合う物語のストーリー全体を表しているのかも知れない。銃とチョコレートの共通点はどちらも黒いこと。でもって人生は甘くない。そしてお気づき通り登場人物の名前がチョコレートにまつわる名前になっている。なかなか手が込んでいる。
 チョコレートを食べるたびにこの物語を思い出してしまうかも知れないな。

 

 巻末、あとがきらしきもので乙一が自分が子供だったころの事について書いている。短い文章だが、乙一らしいなあと思わせる。児童書の叢書に書く事になった時、作者のそんな少年時代がどこか作品のエッセンスとなったのだろう。
 だから何度も繰り返すけど、子供向けの外見に読まず嫌いせず、大人にもぜひ触れてもらいたい。ダークで、胸躍る冒険の物語に。
 「ミステリーランド」の凝った造本は大切にしたくなるが、2013年には講談社ノベルス版が刊行されている。残念ながら本文中のイラストは削除されているが、懐がちょっと寂しいという方はこちらをオススメ。