ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]キャプテン・ジャック・ゾディアック

 

キャプテン・ジャック・ゾディアック (ハヤカワ文庫SF)

キャプテン・ジャック・ゾディアック (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 街が核攻撃された日、クリフォードは恋人マーシャの家を訪ねることにした。彼女の親に挨拶をするためだ。
 アメリカの郊外。バツイチのクリフォードにとって最も重要な事は世界が核戦争で滅びようとしていることではなく、恋人の親にいかに好印象を与えるかという事。そして家出中の子供たちを連れ戻す事。街はゴミだらけで道路は慢性的に渋滞してて、気温は異常に高いのには辟易するが、それでもよき父であり夫たらんとする彼は幸せな家庭のために孤軍奮闘するのだった。

 

 地球に破滅的な災いが忍び寄る中、ロシアとの間で核戦争が勃発。人々は恐慌に陥るかと思いきや、意外に淡々と日常を続けている。最大の関心事は家庭問題。悲惨な世界にあってもあくまで「普通の」生活を続ける「普通の」人々。この小説はそんな世界をブラックユーモアたっぷりに描くSFスラップスティック・コメディだ。
 環境破壊と核戦争だけではない。ショッピングモールにはモール・ゾンビが徘徊し、少年たちはドラッグで宇宙の彼方までトリップしている。街中では知性をもった芝生が人に襲いかかり、スーパーヒーローはマスコミで糾弾されている(このスーパーヒーローを見ていると藤子・F・不二雄の「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」を思い出してしまい、どうしてもあのビジュアルで想像してしまう)。

 

 混沌とした救いのない世界で、日常にしがみつく人々たち。ひねくれ者の作者らしく素晴らしくひねくれた小説だが、圧倒的な密度でSF的アイディアやガジェットが投入されている。が、どれもこれもブラックなギャグに消化されてしまい、お約束はことごとく裏切られる。
 定石をはずした皮肉な笑いの中に一瞬ヒヤリとした恐怖が忍び込むのは、現代という時代が小説に負けず劣らず奇っ怪だからだろう。

 

 福島では原発事故が起こり未だ汚染を垂れ流し続けているというのに、我々は時の政権の下らないパフォーマンスに熱狂している。冗談みたいな世界が実際に僕の周りにあるのだから、核戦争が始まった世界で恋人との問題を最優先させる男をどこまで笑えるのか、笑っていいのか悩んでしまう。

 

 そういえばなんかもっとリアルにこの小説に近い状況が日本で最近あったような……と考えて思い出したのが、2013年の4月。この時、北朝鮮が挑発行為を繰り返し、今日明日にでもミサイルを発射するのではないか、本当に戦争が始まるのではないか、と緊張がピークに達した事があった(もうみんな忘れてるよねえ……そんな事があったなんて)。その日、国際情勢は奇妙な緊迫感に包まれていたが、僕らはいつもと変わらず仕事をし、夜の街へ飲みに繰り出していた。みんなどこかでなんかヘンだなと感じていて、でもどうしようもなくていつもと同じに振る舞っていた。もしあのまま戦争が始まっていたらあの日はどう記憶されたんだろうと考える。
 なんだ現実だって十分ブラックでスラップスティックじゃないか! そう気づいた瞬間に僕は笑がこみあげてきた。

 

<個人的なトラブルのおかげで戦争のことをすっかり忘れていた。この死体はアメリカ人だろうか、それともロシア人? 両方ひとりずつという可能性もあるな。ま、ふたりの兵士の死体から、どっちが勝ってるのかわかるわけでもないし。いや、それをいうなら、核のホロコーストに勝者があるものか。もっとも、まだなにも蒸発したり放射能汚染されたりはしていないようだ。おれたち全員が残像だっていうならべつだけど>(p114)

 

 この物語には死者の世界さえ登場する。冥界の下にはさらに下の段階の冥界があって、さらにその下には……と延々と続いていく冥界だ。そこをさ迷ううちに読者は生者と死者の違いは何なのかわからなくなってくる。異常と正常、戦争と平和の狭間が揺らぎ、生と死の境界線すら曖昧な中、自分を保つ唯一の拠り所が「日常」なのだとしたらちょっとうすら寒い。

 

 異色のファンタジー小説『図書室のドラゴン』が邦訳されている作者だが、日本における紹介は本書も含め2冊しかないようだ。アメリカにおけるスタニスワフ・レムの翻訳なども手掛けているらしい。それだけでもう根っからのSFマニアだということがわかるだろう。

 そんでもって大森望の翻訳、横山えいじのカバーイラストとくれば、大体どういう人が読むべき本なのか解るというもの。素敵に人が悪く、素敵に居心地の悪い世界へようこそ。

 作者がクレイジーな笑いの中に現代の病巣を描き出したのか、現代という時代がおかしなブラックジョークのような世界に近づいて行ったのかはよくわからないけど、今と言う時代を笑い飛ばすには最適な小説なのかも知れない。

 

<真実はおおむねよいものだが、ある種の真実は、ある種の薬と同様、口に苦い。そしていくつかの真実は―ものごとの本質に関わるような真実は―ほとんど耐えがたいものとなりうる>(p273)

 

 ま、小説にも世の中にもあまり深い意味なんてないのかも知れないけどさ。