ペイル・グリーン・ドット/読書日記

本の紹介とか、読んだ感想とか書いてます。国内外のSF小説が多いです。PCで見る場合は、画面左上の「ペイル・グリーン・ドット」をクリックして、「記事一覧」を選択すると、どんな本が取り上げられているか見やすいと思います。

 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]サイバラバード・デイズ

 

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

サイバラバード・デイズ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

 

 2011年に早川書房が満を持して刊行を開始した叢書「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」。50年以上前に刊行が始まり、日本SF界の屋台骨となった「ハヤカワ・SF・シリーズ」の復活である。その間、日本SF叢書「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」はあったものの、今回は銀背などの造本も受け継いだ正当な後継シリーズだ。3000番台から始まった旧シリーズだが、新たなシリーズは5000番台からのスタートである。 

 そしてその第3回配本が5003番『サイバラバード・デイズ』。2009年に刊行された、近未来のインドを舞台に描かれる連作中短編集“Cyberabad Days”の邦訳である。

<太陽は、世界の藍色の縁に沿って回転する、黄銅の碗だ>(p160)

 2047年。現在のインドがそのまま続いていれば独立100年祭を祝うはずだったこの年、伝統様式と最先端の科学技術に満ち溢れたインドは大小8つの国に分裂しようとしていた。旱魃による水不足に喘ぎながらも、熱い生命力は新たな時代を切り開こうとしていく。混沌の中の秩序、文化に溶け込んだ先端科学。そんな激動のインドに暮らす人々の人生を丹念に描く、エキゾチックなSF世界。2010年フィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞している。
 収録作品は下記の通り。収録順。

「サンジーヴとロボット戦士」Sanjeev and Robotwallah
「カイル、川へ行く」Kyle Meets the River
「暗殺者」The Dust Assassin
「花嫁募集中」An Eligible Boy
「小さき女神」The Little Goddes
「ジンの花嫁」The Djinn’s Wife
ヴィシュヌと猫のサーカス」Vishnu at the Cat Circus

 耳掛けや手袋型のウェアラブルコンピュータが生活に浸透し、「ヌート(中性人)」と呼ばれる第3の性が存在するインド。AI(人工知能)が人間を超えようとしており、AIによるメロドラマが絶大な人気を獲得している。
 この小説の面白さを一言でいうなら「異文化SF」という点に尽きるだろう。インドという欧米から距離を置いた世界におけるテクノロジーの発展は、日本人にとってもある種のカルチャーギャップを楽しませてくれるのではないか。
 その世界は、先端の科学技術を駆使しながらも、まるでアラビアンナイトの世界のような豊穣で豪華絢爛なおとぎ話のような伝統的インドの姿も色濃く残っている。欧米SFとはまた違った空気に浸る事ができるだろう。
 もしかしたら本当にインドの人が読んだら「こんなん偏見ばっかりだ!」と言うかも知れないけど。

 インド中南部の都市ハイデラバード(Hyderabad)はハイテク産業に力を入れており、Cyberとかけて実際にサイバラバードと呼ばれているそうだ。不勉強で僕はその事を知らなかったのだけど、この本のタイトルはこの都市の通称から取られていたのだな。「サイバラバード」という単語自体は作中に登場しなかったと思うが、これはサイバーシティと化したインドを描いた小説なのだ。

 SF作家の大御所アーサー・C・クラークは、高度に発展したテクノロジーは魔法と見分けがつかないと言っていたけど、まさに魔法のように進化した技術が彩るインドの街は奇妙に鮮烈で、不思議と懐かしい。
 そんな世界でもそこに暮らす人々は男女関係に悩んだりもするし、成長する子供の対応に親はやきもきしたりする。『火星夜想曲』などで知られる作者だが、そこらへんは実に丁寧に描いていて、でもその分スピード感はあまりない。説明も無しに頻出する独自の単語も相まってそこらへんは退屈に感じてしまう人が多いかも知れない。SFってそういう世界を少しずつ読み取っていくのも楽しさの一つなんだけど、SFを読み慣れていない人はそこらへんに躓いて読みとおすのがしんどいかも知れない。
 比較的ストーリー性のある「暗殺者」や「ジンの花嫁」なんかは結構読み易いかな。

 ところでこの小説、全編を通して「結婚」は重要な意味を持つキーワードだ。どれだけ科学が進歩してもやはり人間の営みにとって結婚は運命を左右する重大な出来事である。近未来のインド的カルチャーの中、若い男女は様々な選択を迫られ、思わぬ出来事に遭遇する事になる。やはり人間は根本的にはそんなには変わらないのだ。
 だから、未来であろうと異文化であろうと、そこに生きる人々の一生懸命さやいじらしさは愛おしいのである。

<カイルにはわかっていた。自分がうんと年をとっても、40歳か、ひょっとするとそれ以上になっても、きっとずっとこの日のことを、この光の色と船縁に打ちつける波の音を、覚えているのだろうと>(p65)

 しかし誤字が目立ったのは残念。僕が気付いただけで2か所あった。314ページの「真底」は「心底」、372ページの「惑星状」は「惑星上」が正しい。もっとあるかも知れない。急いで刊行したから校正が間に合わなかったのかな。

 ともあれ未訳の姉妹長編“River of Gods”もいつか邦訳されてほしいな。