ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]くらやみの速さはどれくらい

 

くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4)

くらやみの速さはどれくらい (ハヤカワ文庫 SF ム 3-4)

 

 

 毎年4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デーなのだそうだ。僕も含めこの病気への理解はまだまだ進んでいるとは言い難いだろう。僕のように小説でその世界に触れてみるのも意義深いかも知れない。

 

 光はこの世界で最も速いものだという。しかし、光の先には必ず暗闇がある。では、暗闇の速さはどのくらいなんだろう?

 35歳のルウは自閉症。感覚統合障害、聴覚処理障害、視覚処理障害、触角障害……医師によってさまざまな診断を下されたものの、それでも自閉症に理解のある製薬会社に就職し、趣味であるフェンシングを通じてたくさんの人と知りあって暮らしていた。

 自分が正常(ノーマル)とは違うことを理解しつつ、正常とは何なのか、自閉症の自分とは何なのかを考えている。
 そんなルウに自閉症治療実験の話が舞い込む。この時代、自閉症は幼児期に治療できるまでに医学が進歩しており、ルウは自閉症のまま大人になった最後の世代だった。そして、そんな大人の自閉症者を治療する実験がおこなわれるというのだ。
 周囲の自閉症者たちと共に、参加するか否かを思い悩むルウ。自分が自閉症でなくなったら、それは自分ではなくなるのではないか……。
 2004年ネビュラ賞受賞作。原題は“The Speed of Dark”。

 

 不勉強で、この本を読むまで自閉症の事をほとんど知らなかった。
 調べてみると、自閉症にも人によっていろいろな症状があるらしい。ルウは会話や日常生活に支障はない程度で、パターン解析にずば抜けた能力を持っており、この才能を活かして会社でも重要な仕事を任されている。だが他者との細やかなコミュニケーションにはいささか難がある、という感じ。

 自閉症者の視点から物語を紡いでいるのが特徴的だ。解説で梶尾真治氏が指摘している通り、自閉症者の視点から世界を見せてくれるこの小説は驚きに溢れ、刊行後、同じく障害者の視点から物語を語った名作と比して「21世紀版『アルジャーノンに花束を』」と称され絶賛された。それが『アルジャーノン~』と同じく小尾芙佐氏の名訳で刊行された事は日本人にとってとても喜ばしい。

 

 実は以前、ネット上であるニュース記事を読んで僕は少し考えさせられた事があった。2011年頃のニュースなんだけど、ドイツの研究者たちがネズミの脳内の化学成分を調整することによって自閉症の誘発に成功。さらに同じ技術を使って治療することにも成功したというのだ。

 これはつまり自閉症のスイッチをONにしたりOFFにしたりする事が可能ということだろうか。ルウのように仕事に“使える”能力を仕事の時だけ発症させたりすることが可能ということなのだろうか。
 何か妙な怖さというか居心地の悪さを感じたのを憶えている。

 

 冒頭の光に関する疑問はルウが本書内で度々口にする問いかけだ。この疑問は物語が進むにつれ、隠喩としていろいろな意味を帯びてくる。読了後にタイトルを再度見返した時、複雑な思いが去来するに違いない。

 関係ないけど、風味堂というバンドが数年前、彼らのラジオ番組『風味堂ロックでください』の中で、「光はすごく速いけど、部屋の電気を消したら同じ速さで闇がやってくる。ってことは闇もすげー速い」といった内容の話をしていて、おぉこれはまさに『くらやみの速さは~』だ!と思った憶えがある。

 

 柔らかな光が包み込むようにルウの生活をナイーヴに描き出していく。いわゆる正常(ノーマル)の女性に対するルウのほのかな恋心も描かれるが、そんな彼に投げかけられる言葉が胸をえぐる。

<出来損ないは出来損ないと結婚すりゃいいんだよ(中略)きさまが正常な女と ―ああいうことをする― と考えただけで反吐がでそうだ>

 

 著者のエリザベス・ムーンは1945年テキサス生まれのおばあちゃんで、自閉症の息子を持った経験からこの小説を著したという。「くらやみの速さはどれくらい?」という問いもこの息子の言葉だとか。

 細やかにルウの心情を積み重ねていきながら、読者である我々は同じ視点で決断を迫られていく。その過程は、『アルジャーノン~』とよく比べられるものの、決定的に違う部分がある。それが何かを考えながら読むと著者の意図もより明確になるだろう。果たしてルウは最後にどんな決断を下すのか。そしてその先に待つものとは。

 障害者や自閉症者と関わりのある人はもちろん、いままでほとんど関わった事はないという僕のような人にこそ読んでほしい。そこには多くの発見があるだろう。人が人たる理由とはなにか。
 SFであり、また硬質な感触を持つ小説でありながら繊細な印象を残すのは、それが我々の人生に大きく関わるテーマを持っているからだ。

 

<ほかの人間がきみよりうまくできない唯一のこと、それはきみであることなんだ>

 

 2004年早川書房の海外SFノヴェルズより単行本刊行。2008年にハヤカワ文庫SFで文庫化。