ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]タナトノート 死後の世界への航行

 

タナトノート―死後の世界への航行

タナトノート―死後の世界への航行

 

 

 ―2062年、死者の大陸への第一歩。

 

 数年前に祖母を亡くした。もう90を過ぎて大往生だったのだが、お葬式で棺を持ち上げた時のあまりの軽さを思い出すたび、僕はちょっとだけ考えてしまう。祖母はどこへ行ってしまったのだろう?

 『タナトノート ―死後の世界への航行』はフランスの作家ヴェルベールが1994年に発表した近未来小説“Les Thanatonautes”の邦訳。死後の世界を解明しようと試みた人々を描いている。
 フランス。叔父の葬儀の日、ミカエルは墓地でラウルと名乗る不思議な少年と出会う。死について語り明かすうち、やがて親友となる二人。そして大人になり麻酔医になったミカエルはラウルからある計画を持ちかけられる。それは死後の世界への探検という途方もない計画だった……。

 古今東西の膨大な伝承、思想、神話の知識が凝縮され、死後の世界の神秘を描き出している。ヴェルベールは登場人物の心理を丁寧に描きながら、文献の引用や報告文書など多様な文体を巧みに操り読者を未知の世界へ誘っていく。

 ここで描かれる死後の世界は、様々なエッセンスが織り交ぜられており、世界中の人々が訪れる場所という整合性をなんとか維持している。
 面白いのは、最初おっかなびっくりだった死後の世界への旅が、やがてスポーツのように人々の間に浸透していく点。だれもが訪れるようになり、広告まで出現するようになった死後の世界……。終盤にはすごいことになってしまう。

 それにしても「死後の世界」という「最後の未知の領域」に挑んだ本書は娯楽小説としてもめっぽうな面白さ。ハードカバーで分厚いのだが、ぐいぐいと読まされてしまう。下手をすれば難くなってしまいそうな話題も、独特のユーモアセンス溢れる話の運びで読者を飽きさせない。
 そして大量に投入された世界中の死に関する知識の数々も圧巻。日本のトピックもたびたび登場する。「死ぬことと見つけたり」の『葉隠』とかね。

 

 「タナトノート」とは作者の造語で、昏睡状態で死後の世界を探検する人々のことだ。作中では「死後世界航行者」と訳されている。

※ちなみにアメリカのSF作家テリー・ビッスンが、死の世界をテーマに書いた小説では「冥界飛行士」(Necronauts)という言葉が使われている。個人的にはこちらの方が簡潔で響きもカッコいい気がするが、それはともかく死の世界への旅はやはり「飛行」のイメージなんだなあと思った。『ふたりジャネット』(河出書房新社奇想コレクション)所収の短編「冥界飛行士」です。

 

 読む前の印象ではもっとスピリチュアルで寓話っぽいストーリーなのかと思ってたのだけど、読んでみると死後の世界をどんどん「開拓」していく冒険小説的味わい。最初は恐る恐る足を踏み入れていた死後の世界も、慣れてくると現金なもので、もっと先へ、もっと先へと人類は貪欲に行動範囲を広げていく。

 死後の世界でさえ人間が進出すると俗っぽくなっていくんだなあと呆れてしまうが、前述のように長さが気にならないほど面白いエンターテイメント小説なので、あまり気張らずに読んでいいと思います。

 フランス版のWikipediaを覗いてみると、あちらではどうやら本書の続編が刊行されているようなのだが(フランス語がわからないので推測)、日本では翻訳されていない。うーむ、この本売れなかったのかなあ。文庫化されてないし、絶版だし。面白いのになあ。

 最近は毎日のように自爆テロのニュースを目にするような気がする。その多くは宗教や信仰が絡むもので、彼らは自爆テロを決行することで天国へ行けると信じているという。

 僕はなんの宗教も信じていないけど、天国のイメージというのはそれほどまでに魅力的なのかと驚く。そんな人たちにこの小説を読ませてみたいな。どんな感想を抱くんだろう。

 

 ついに「死後の世界」へ足を踏み入れてしまった人類はそこに何を見るのか?そして「神」はいるのか?誰もが関心を持っているであろう「死」をテーマに描ききった娯楽大作。物語のラストは希望なのか否か。ぜひ自身の目で確かめて欲しい。死ぬときは誰だって一人なのだから。