ペイル・グリーン・ドット/読書日記

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 田宮さんはああ言っていたけれど、ちっとも痛くなかった。そして、頭のなかでラムネの泡がはじけるみたいにいろんなものがぱちぱち壊れてしまった。
 そして、ぼくたちはすこし馬鹿になった。

北野勇作『どーなつ』


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[読書]マシアス・ギリの失脚

 

マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)

マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)

 

 

 すべての物語には始まりと終わりがある。始まりと終わりの間が長いものもあれば短いものもある。
 この小説は長い物語だ。集中力が続かない僕は実は長い物語が苦手である。そしてだからこそ、長いにも関わらず夢中になってしまう小説には驚異を感じるのだ。

 

 西太平洋に浮かぶナビダード諸島は、3つの大きな島といくつかの離島から構成されている。大きな島のうちの2つ、バルタサール島とガスパル島は共通の珊瑚礁にかこまれているが、残るメルチョール島はそれから300kmほど離れている。これら周囲1000kmほどの範囲にある小さな島々がナビダード文化圏を構成している。
 古来にはガラギラグラ(騒々しい島)と呼ばれ、17世紀前半にスペイン人に「発見」されるまでは世界史に登場する事も無かった。

 

 かつては実質的に日本の植民地となり泪島と呼ばれた時代もあった。戦後はアメリカに支配されていた。現在は一応独立国家として存在しているが、人口7万程度では国際社会で生き抜くために他の国に依存する事は不可避だ。
 そんなナビダードを統治するのはマシアス・ギリ。ナビダード民主共和国大統領。
 若い頃に日本で様々な事を学び、人的つながりを持つ彼はそれを活かし、事実上の独裁者でありながら人々が不満を持たない程度に巧みに支配していた。
 しかし日本から慰霊団が到着し、そのバスが忽然と消えた時、平穏な島の日常とマシアス・ギリの人生は緩やかに歯車が狂い始めるのだった。

 

 池澤夏樹が豊潤に描き出す長大で深遠な物語の世界。物語の中にいくつもの物語が出現し、時間軸は過去と未来を行き来する。枝はとめどなく広がっていき、もはや細部を伺い知る事はできない。

 読書とは物語に溺れる快楽の事なのだとしたら、この小さな島の長い物語はその喜びを全身で感じさせてくれるはずだ。現実と幻想は混じり合い、読者はめくるめく虚構の世界へ誘いこまれていく。

 

 作中においてはバス消失事件を機にストーリーは大きく動き出すが、この消えたバスは物語の至る所にちょこちょこと顔を出す。常識を超えた出没の仕方はまるでバスがいたずらで読者をからかっているようだ。このバスの人を食った活躍(?)に読者は苦笑するしかない。
 その他、掲揚された日章旗が何故か燃え上がったりと非現実的な描写は多々あるが、作者の筆致はそれをあくまで自然な事として描き出すのでまるで違和感が無い。
 よくよく考えたらとんでもないことが起きているのに、登場人物は皆「そういう事もあるのか」となんだかのんびりしているのだ。
 まあこの牧歌的な島ならそういう事もあろう、と読んでて納得してしまうのが恐ろしい。

 

 そんな不思議な雰囲気の中にも作者はやら寓話めいたものを仕込んでいるようだ。なにしろ足下には長く伸びた根、頭上には広大に生い茂る枝葉が広がっているのだから、木目の1つ1つを観察していたらいくらでも深読みできてしまう。
 例えば数奇な歴史をたどり、最終的に日本とアメリカという二つの国の間で翻弄されているナビダードの政治。ここに日本の石油備蓄基地建設の計画が持ち上がるのだが、それが軍事基地ではないかという疑惑が持ち上がるのがストーリーの軸の1つである。で、考えてみたらこれを巡る一連の騒動に現在の「沖縄」の姿を重ねる事も出来よう。何しろ他の国に依存しなければやっていけない島国である。実際、作者はこの小説を刊行した年に沖縄に移住しており、約10年を過ごしている。そこに何らかの意図があるのでは、と勘ぐってしまう。

 

<おまえたち与える側は受け取る方の屈辱を一度でも想像したことがあるのか>(本書より)

 

 深く考える必要はないのかも知れない。僕は沖縄に暮らしているからそう考えてしまうのかも知れない。まるで人が木の幹の木目にありもしない顔を見いだしてしまうように。なにしろ物語は限りなく広がっていくのだから。
 政治小説のようでもあるしファンタジーのようでもある。年代記のようでも一代記のようでもある。僅かにだがミステリー的謎解きの要素もある。きっと読者によって様々な表情を見せるだろう。

 とりあえず僕は読み終えた後、I・W・ハーパーを飲みたくなったし、カップヌードルが食べたくなったし、たくさんのマグロの刺身が食べたくなりました。

 

 長大な物語だが、ふさわしい幕開けとふさわしい終幕を得て豊穣な時間と空間を内包する。そしてそのすべてが端正で美しい文章で綴られているのだから凄みすら感じる。
 世界的に評価されてもいい小説だと思ってたのだが、調べてみたら英語とドイツ語に翻訳されているらしい。

 過去と未来。国家と個人。謀略と幻影。凝縮された物語に圧倒される。数枚挿入されているイラスト(影山徹によるもの)も雰囲気たっぷり。 

 1993年新潮社から単行本刊行。1996年新潮文庫で文庫化。作者は本書で第29回谷崎潤一郎賞を受賞。