[読書]晩夏
夏が過ぎゆこうとしている。もう戻れないところまで来てしまった。沈む陽の名残にけだるい熱気を感じながら、2人は一緒の時間を逃すまいとその光景を目に焼き付けている。その手をしっかりとつないだまま。
……などという描写は本書には無いのだけど。でも、何となく読後にそんな情景が瞼に浮かんだ。
図子慧は確かな実力で評価の高い作家だが、実はデビューは集英社のコバルト・ノベル大賞だったそうで、デビュー後しばらくは集英社コバルト文庫で作品を発表していたという。
1987年にデビューしているから1991年に集英社から単行本が刊行された本書はかなり初期の作品だ。刊行当時の評判がどうだったのかはわからないが、2010年、単行本が刊行されてから何と19年を経て創元推理文庫で登場しファンを驚かせた。
時代に合わせて多少の修正がされているようではあるが、このように過去出版された隠れた名作が新たな形で読めるようになるのはいい事だと思う。
大学生の想子は、毎年夏を叔母である蓉子のもとで過ごしている。蓉子は代々続く酒造会社の娘で、婿養子である夫が会社の社長を勤めている。
しかし想子の目当ては蓉子の息子、つまり従兄弟の瑞生だ。病弱で伏せがちな瑞生だが、想子は彼に魅かれていた。イトコだから好きになったのか、好きになったのがイトコだったのか。微妙な関係の2人だが、そんな2人に衝撃的な事件が襲いかかる。蓉子が何者かに殺害されたのだ。
誰が、何のために? 夏の香川を舞台に青春時代の瑞々しい成長と心の揺れを描くミステリー。
酒造会社という閉鎖された環境で様々な愛憎が渦巻いていくのが読みどころだ。血縁の因縁。謎めいた過去。罪と罰。そしてその中心にいるのは想子と瑞生である。
あとがきによると、執筆当時作者は編集者に「ライトノベルを卒業した年齢の女性むけの恋愛もの」を書いてくれと注文されたようだが、結果的にミステリーになってしまったとのこと。しかしやはり編集者の注文は脳裏に残っていたようで、全体的に青春小説としての要素が占める比率が高い。というか、正直ミステリーとしてはいささか物足りない感じすらする。ミステリー風味の青春小説といった所か。今思うとコバルト文庫を主戦場とするラノベから一般作へフィールドを移す過渡期だったんかな。
本の帯には<少女の時代の終わり>というキャッチコピーが書かれているが、主人公の想子は大学生で「少女」という年齢ではない。しかし作者が意図したものかどうか、その描写には確かに少女というイメージがしっくりくる。それは恐らく彼女たちに危うすぎるほどの無垢さを感じるからではないか。
つまりこれは、年齢的には「大人」である少女が、ひと夏の事件を経て本当の大人になっていく物語なのかも知れない。
従兄弟である瑞生との、禁断(タブー)とまではいかないけど何となく二の足を踏むような繊細な関係性。それが物語の中で重要な要素であるから、やはり女性向けの恋愛小説として良く出来ているような気がする。
だからまあ、やっぱりこの小説は空気感にどっぷりと浸りたい物語だ。一人の男を想い続ける女性の、成長の過程と共に描写される夏の情景は、端正な筆致で描き出されきっと忘れ難い余韻を残すだろう。
閉塞感に満ちたストーリーは、殺人事件を巡り不穏なまま進行していく。前述したように正直ミステリーとしては若干平板な展開なので、難物を読み慣れている人には事件の大体の展開が読めてしまうかも。だがそれでも終盤明かされる意外な真相を読んだ後に再度読み返すと、登場人物たちの胸中がまた違った角度から浮かび上がってくるところは人物描写の巧みさかもしれない。
またクライマックスの緊迫した場面には手に汗握らされる。
大長編が流行りの最近の小説界において本書の200ページちょっとという簡潔さもいい。ていうかラストはちょっとあっさりしすぎの感もあるが、それはそれで効果的な終わらせ方なのかも。長ければいいというものでもないしね。
奔放な叔母の死。愛する男の秘密。晩夏は想子の胸に多くの記憶を残し、挽歌は葬列と共に消えてゆく。新たな季節の始まりに、人は戻れない一歩を記していく。
情感あふれる青春ミステリー。