[読書]花/メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス
『ピンポン』、『鉄コン筋クリート』等の映像化作品がある稀代のマンガ家・松本大洋による舞台作品集。「花」と「メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス」の2作品を収録。
「花」は劇団黒テント第41回公演(1998年6月3日~10日、下北沢ザ・スズナリ)の“脚本”としてラフに鉛筆で描かれ、後にペン入れされ雑誌「ビッグコミックスピリッツ」に掲載されたマンガ作品。単行本収録にあたって大幅に加筆が行われた。
といっても松本作品を知っている人ならご存知の通り、独特のタッチで描かれているため、一般的なマンガより1コマ1コマが“イラスト”に近い。そこに描かれるストーリーは壮大な自然を背景にある家族の風景を描写したもの。
いつとも、どことも知れない世界。そこでは舞方と呼ばれる若者たちが儀式の度に舞を捧げていた。舞方たちが舞う際に顔に被るのが面打ち達の作った面。この面の出来によって舞方が本来の力を出せるかどうかも決まってくるらしい。
面打ちのキクは高齢のためやがて跡継ぎを決めなくてはいけない時期が迫っていた。長男のユリは天才的な面打ちの才能を見せていたが、キクは跡を継がせるのは次男のツバキにすると言うのだった。巧みな腕を持ちながら外の世界に出ようとしないユリ。精霊たちが導く家族の運命。家族の四季。
孤独な天才を描ききった松本大洋らしい作品。才能はあるが世間と相容れない兄。ある程度までは到達できるが何かが足りない弟。その関係性は『ピンポン』におけるペコとスマイル、『鉄コン筋クリート』におけるクロとシロらを容易に思い起こさせるが、そこに松本大洋は何を投影していたのだろう。「花」というキーワードからは野球マンガ『花男』における花男・茂雄親子の関係も想起させるな。
「対比」という手法でテーマを明確に掘り下げるのは効果的な手法であるけど、ここで対比されるのは……この本の帯に書かれた言葉を借りれば「生と死」、「滅却と再生」。深読みすればいくらでも意味が見出せそうだけど、深読みしすぎると泥沼にはまりそうだ。
演劇の舞台の“脚本”として描かれたマンガ、という異色作だけあって、コマ割は舞台劇という事を意識しているようだ。それでもこのマンガがどうやって舞台化されたのか、見てみたかった。
一方の「メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス」も、同じく劇団黒テント第45回公演(2000年5月初演)のために書き下ろされた脚本だそうで、これは普通に脚本形式で書かれている。何気に松本大洋初の「活字の本」である。
深夜のドライブイン「楽園(パラダイス)」。そこには常連である長距離トラックの運転手・菊地、桜井、梅田、椿らが今夜も集まっていた。「楽園」の女主人・夢子とボーイのフーちゃんこと藤山は、男たちの夢と現実の間をさまよっていく。二つの世界を繋ぐのはラジオ番組「カミヨン ドライブ」のDJ・鹿島洋子なのかも知れない。
深夜の長距離トラックの運転手たちが主人公という、「花」が持つ幻想的な雰囲気とはまた正反対の雰囲気。これはこれでかなり異色の作品であることは間違いないんだけど、しかしそこは松本大洋作品、これだけ現実的で即物的な設定であるにも関わらずそこには不思議な味わいが満ちているのである。
ドライブインに集うとぼけた男たち。それぞれ異なった想いを抱えて人生を生きていて、それは決して交わる事はない……ようでいて、案外交わっているようでもある。ユーモラスで、コメディタッチでありながら、ある種のファンタジーのようでもある。
女性を描くのが苦手と公言している松本大洋だが、本作では夢子と鹿島洋子という重要な2人の女性キャラクターを登場させている。活字だったら少しは書きやすいのかな。深夜の夢は男女の夢なのか。
やはり読者としては松本大洋のマンガで読んでみたい気もするが、「花」と比べてこちらはさらに舞台演劇的なストーリーである。やはり舞台化されたものが「本物」なのだろうという気もする。
2001年の公演時には東京タワーの足元・芝公園プールシアターという場所で演じられたそうで、これは水の無いプールだったそうだ。意表を衝いた舞台演出だが、そういうのもアリだなと思う。劇団のセンスに目を瞠る。
目指す光の先にあるものとは何なのだろう?
「花」も「メザスヒカリノ~」も、いずれも僕は舞台公演時を見てはいないのだけど、これを体験できた観客は得難い何かを持ち帰ったに違いない。その光景を僕は想像するしかない。
本書はそれぞれ独立して出版されていたものを合本して刊行したものである。コストパフォーマンスはかなり良くなったが、『花』の表紙には松本大洋の版画が使われていたりするなど、前の版もなかなか読みごたえがあった。
大手ではない出版社から出ているので見逃しがちだけど、松本大洋ファンなら注目に値する本。